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原田利行・大木咲紀さん/EN’S hair&nail

デザイン系の仕事を希望していた高校時代に、兄のアドバイスで美容師になることを決意。愛知から情報発信の中心である東京を目指した。新人の頃の夢は、地域で一番の美容師になること。徐々に頭角を現し、25年間の勤務でマーネージャーにまで昇進。そんな時、徐々に独立心が芽生えてきた。

ライター 前田正明 | カメラ 藤村 徹 | 配信日 2013.10.3

情報の発信基地である東京に出て美容師を目指そう

原田さん/一般家庭で育った私は3人兄弟の末っ子で、高校卒業後にはデザイン系の仕事をしたいと考えていました。そんな時に兄が、「美容師もデザインをする職業だぞ」とアドバイスをしてくれて美容師になろうと決意しました。当時は愛知県に住んでいましたが、情報の発信基地である東京に出ようと思いました。しかし、美容室なんて行ったことも無かったので、どこを受けたらいいのかさっぱり分かりません。ましてや東京のお店なんて・・。そこで、学校の求人を見て神奈川県を拠点にしているシーホースジャパンに入社しました。当時は通信課程で学びながらサロンに勤務。その頃の私はリーゼントヘアにアイビールックという出で立ちで、スタッフの中で完全に浮いていました(笑)。新人の頃は技術をマスターするため、夜遅くまでレッスンをしていましたが、違和感はなかったです。それが当たり前の世界だと思っていましたから。当時の私の主な仕事はシャンプーでしたが、今まで理容店にしか行ったことがなかったので、女性のお客様と接することにドキドキしました。

マネージャーとして会社を活性化する意識が高まった

原田さん/新人の頃の夢は、地域で一番の美容師になることでした。そして、たくさん稼いで一旗揚げて実家に帰ることを夢見ていました。だから、東京で有名になりたいとか雑誌に出て作品を発表したいという欲はなかったです。ただ、漠然としながらも独立して自分のサロンを持ちたいという希望は持っていました。新人の頃は失敗もたくさんしました。でも、学生時代に根性を鍛えられていたので多少のことは苦にならなかったです。シーホースジャパンでは約25年勤務し、その間にマネージャーまで務めさせていただきました。当然、キャリアを積むにつれてマネージメントに関する意識が高くなりました。売り上げを上げて会社を活性化するための指導も受けましたから。スタイリストからマネージメントをする立場になり、学ぶことも考える事も山ほどあり、独立の夢はすっかり忘れてしまっていました。

年齢的なことを考え25年の勤務を経て独立を決意

原田さん/マネージャーとして5店舗分のスタッフたちの指導・管理をし、大きな会社組織の経営について考えていくうち、徐々に自分のやりたい方向とのズレを感じ始めました。そして、再度将来の夢であった「独立」について考えるようになったんです。将来の自分を想像した時、独立が最善の選択だと思い、決意しました。独立の相談を社長にしたところやむなく了承してもらいました。しかも「時期は早い方がいいだろう」ということで退職までの期限を50日と言われ、了解を得たことで嬉しさ反面、あまりに準備期間が短いので焦りましたね(笑)。そんな時、友人やお客様とのたくさんのご縁があり、現在の物件を探すことができました。環境的にこの周辺は住宅街なので、地域に密着したサロン作りを考えました。

原田 利行  EN’S hair&nail代表取締役。愛知県出身。育成会技術専門学校美容科(通信課程)卒業。神奈川県のシーホースジャパンに入社し約25年間勤務する。その間にマネージャーとして5店舗を統括する。2013年に独立し4月にEN’S hair&nailを東京都練馬区にオープン。来店客の満足度と施術のスピードアップを図るため1対1の接客をモットーにする。また、専属のネイリストを採用しネイルメニューの充実化を図り好評を得ている。

大木 咲紀 EN’S hair&nailネイリスト。東京都出身。ピンクフラミンゴネイリストスクール修了。ネイルサロンにて見習い、就職を経て在宅ネイリストとして活動。 2013年にEN’S hair&nailのオープニングスタッフとしてネイルを担当。「爪に優しい施術」をコンセプトに、来店客のあらゆるニーズに対応した接客を行う。

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