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浅井陽介さん/Landmark

叔父のようにタレントのヘアメイクとして活躍したい。そして、美容の本場パリで修行をして一流になりたい。そんな夢を描きながら美容の世界に進んだ。新人時代は東京と名古屋の有名サロンを転々とするも徐々に実力を発揮する。しかし、そんな自分の姿に勘違いし、いつしか有頂天になってしまった。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2013.8.1

タレント担当のヘアメイクになりたくて美容の世界を選んだ

私が美容師になったきっかけは、東京でヘアメイクをしている親戚の叔父の影響です。当時の叔父は第一線で活躍しており、有名人のヘアメイクを多数担当していました。そんな叔父が、私が中学生の頃に大好きだった女優さんのサインをもらってきてくれたんです。しかも、私の名前入りで。それがすごく嬉しくて、自分もヘア関係の仕事に就きたいと思うようになりこの道を選びました。最初はタレントさんを担当できるヘアメイクの仕事をしたいと思っていましたが、叔父に基礎を身につけるためにまず美容師になることを勧められ、地元の美容学校に入学しました。私は子供の頃から負けず嫌いで、とにかく何でも一番にならないと気が済まない性格だったので、専門学校時代は一生懸命に努力して技術をマスターしました。当時はまだインターン制度があった時代です。私は将来的にパリに留学したいと考えていたので、その夢を叶えるためにまずは東京に出て、パリに本店を構える有名サロンの直営店に入社しました。

作品撮りでブックを作り地元の出版社へ売り込んだ新人時代

入社して意気込んでいたのですが、実はインターン時代を経てわずか2年で退職しました。理由は、先輩たちと私の仕事に対する想いに温度差を感じてしまったから。早く一人前になるため、夜遅くまでレッスンすることなどは覚悟していましたが、なぜか自分が思い描くイメージと違っていると感じました。その後、名古屋に戻って全国展開をするサロンに入社。私はそこでスタイリストとしてデビューしました。その当時もヘアメイクの仕事をしたかったので、自分で作品撮りをしてブックを作り、地元の出版社などへ売り込みに行きました。ギャランティはいらないので、ヘアメイクの仕事をさせてくださいと。そこで5〜6回ほど雑誌の撮影を経験させていただきました。メイクアップは先輩に教えていただいたり、雑誌を見たりして独学で学びました。順調に進んでいるかのように思えましたが、そこでもなぜか他のスタッフの姿勢に疑問を感じ、わずか約3年で退職しました。

売り上げが上がりヘアメイクやセミナーの講師で有頂天に

3店舗目に入社したのは名古屋の栄にある人気サロンです。実は、新店舗を出店するので来てほしいとお誘いをいただき、今までそんなお話はなかったので感動して入社を決意しました。当時は美容ブームということもあり、ヘアショー・雑誌・テレビ関係のヘアメイクやセミナーの講師など、サロンワークの他にもたくさんのお仕事をさせていただきました。そんな25才くらいの時でした。自分ではトップになった気分で少し有頂天になっていたんです。売り上げも一番になり、オーナーから可愛がられていたことで自分がこのサロンを支えているんだと勘違いし、後輩たちにも厳しく接していました。そして、ある日のミーティングがきっかけで邪険に扱われたと勘違いし、店長に対して高圧的な言動をとってしまいました。今思えば私が調子にのり、天狗になっていただけなんですが、その頃はプライドが高くアツくなってしまいました。そこで周りが自分を理解してくれないのであれば退職しようと考えましたが、自分の存在意義を確かめる為、パリに修行に行くことにしました。今思えば本当に甘い考えですが、パリに行く間、お店には期間も決めずにお休みが欲しいとお願いをしました。

株式会社LMLand 代表取締役社長。愛知県出身。名古屋綜合美容専門学校卒業。東京、名古屋でサロン勤務を経てフランス・パリへ単身修行。その経験を生かし、帰国してサロンに入社し美容師教育業に従事する。その後に独立し、2006年にLandmarkを三重県松阪市にオープン。3年後には3倍以上のフロアを有する店舗に拡張移転。オーダーメイドのヘアデザインとオリジナルのサービスを心がけ幅広い客層に支持されている。

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