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吉川敏隆さん/福祉訪問美容 髪や

美容師を目指す姉に感化されて、中学卒業後、15歳で同じ美容の世界へ進んだ。その後、大阪と明石のサロンで勤務するも出張美容に関心を持ち始める。きっかけは、他界した祖母の髪を見て。おしゃれだった昔の面影とはほど遠い白髪の姿を見て残念な気持ちになった。そこで若干23歳の若さで福祉訪問美容を立ち上げた。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2013.4.4

美容師を目指す姉の影響で進学をやめ美容の道へ

一般家庭で育った私が美容師になろうと思ったきっかけは、3歳年上の姉の影響によるものでした。姉が高校3年生の時に美容師を目指したことに感化され、中学3年生だった私も高校には進学せず一緒に美容の世界に進もうと決心しました。最初は明石市のサロンで1年ほど修行をさせていただきました。美容学校にも入学し、その後は大阪の心斎橋、梅田、天王寺のサロンに勤めました。それからしばらくして、最初にお世話になった明石市のサロンが人手不足で困っているということで再び勤めることになりました。15歳で働かせてくれるサロンなんてなかったですから、私にとって恩返しのつもりでしたね。当時住んでいた大阪の我孫子からお店がある明石まで、毎日2時間かけて通っていましたが、あの頃は、一日でも早く技術をマスターして一人前になろうと必死で頑張っていたので苦にはならなかったですね。

他界した祖母の髪を見て無性に残念な気持ちになった

その後、23歳で現在の基盤となる福祉訪問美容を始めました。きっかけは、田舎の老人ホームに入居していた祖母です。老人ホームには1ヶ月に1度だけ美容組合が訪問をして、ボランティアカットをしてくれていました。ところが、カットできる人数に制限があったため、希望者でもカットできない場合があったんです。そんな状況の中、しばらくして祖母が他界しました。棺に入っている祖母を見ると髪がボサボサで。昔はパーマやカラーをしておしゃれだったはずの祖母の姿を見て、無性に残念な気持ちになりました。そんな時、美容師として困った方のお役に立てる福祉訪問美容に関心が湧きました。そんな仕事をする美容師がいてもいいんじゃないかと。それからは、どうすればこの仕事が実現できるかを考え、地方自治体や厚生労働省などに何度も何度も問い合わせて、なんとか立ち上げることが出来ました。

ボランティアではなく事業として理解してもらうことに苦心

初めに苦労したのは、得意先を探してなおかつ福祉訪問美容を理解してもらうことでした。当時は、一般的に高齢化社会という認識がなく介護保険もない時代でした。従って、施設でのカットはボランティアというスタンスがほとんどで、それをビジネスにつなげることに苦心しました。美容師法では店舗経営が基本ですが、特例として出張サービスが認められている事例がいくつかあります。そのうち、介護福祉施設に入居もしくは入院されている方に対する訪問美容が含まれています。そこで私は、介護施設入居者やサロンに行くことが困難な方を対象に事業をやってみようと考えました。当初は訪問先を管轄している保健所に、医師による私の健康診断書を持参して健全であることを証明しないと許可がおりませんでした。ボランティアとは違い、事業として訪問美容をする際にはそんな手続きも必要だったんです。

株式会社ジェイ アンド シー代表取締役社長。兵庫県出身。関西美容専門学校卒業。関西エリア数店舗でサロン勤務をする。その後23歳で福祉訪問美容をスタートし、介護施設や医療施設への訪問美容サービスを始める。また、全国の理美容師に対して福祉美容への参加も推進。現在は、福祉訪問美容「髪や」を全国に展開し、介護や福祉の知識や技術を習得した福祉に優しい理美容師総勢約100名を有する。さらに、完全バリアフリーのサロンも展開しながら高齢者・障害者への生きがい支援を行っている。

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