ライター 森永 泰恵 | カメラ 岡崎 累 | 配信日 2023.9.11
家業を継ぐレールには乗ったが、親の名前に頼れない海外での修行を決意
家業を継ぐことに抵抗はありませんでしたか。
祖父が1958年に神奈川県・大和で理容室を開業し、父が現在の『HONDA PREMIER HAIR』の礎を築いたのですが、当時の父は国内外を飛び回る日々でほとんど家にいなかったこともあり、祖父がよく僕と遊んでくれました。
僕を自転車の後ろに乗せながら「お前は3代目だから、がんばらなきゃいけないんだぞ」といつも言っていたのを覚えています。祖父は飲みの席ではベロベロに酔っ払って盛り上がっているのですが、いざ仕事となると別人のようになり、お客様や仕事道具を本当に大切にし、「早くてきれいに丁寧に」が口癖でした。
忙しい父と過ごした時間はあまり多くはなかったのですが、父がヘアショーに出たりメディアに取り上げられたりしているのを見て、子どもながらにすごいなと思いましたね。
周りの人から「お父さんが有名だから大変だね」と言われることもあり、それをプレッシャーに感じたこともありましたが理美容師以外の選択肢があるという考えも浮かばず、高校を卒業したとき、ごく自然に家業を継ぐレールに乗って理美容専門学校に進学しました。
幼い頃から理美容業の厳しさを間近で見ていたからでしょうか、卒業後は実家で修行を積みたいとは思わず、かといって別のサロンで修行をするという感じでもなく……。
当時(90年代後半)流行っていたブラックカルチャーや音楽に影響を受け、海外で修行してみたいと思いました。
日本にいるとどこにいても「本田誠一の息子」という大きな看板を背負い続けなければならず、それがなんとなくフェアではない気がしたんです。だからこそ、そういうこととは一切、関係ない場所で挑戦しようと思いました。家業を継ぐことが宿命ではあるけれど、今は一旦、いろいろなことをしてみたいと思ったんです。
有名メゾンのコレクションに携わり、ふと疑問が湧いた
12年間の海外生活を経て、帰国されたのはなぜですか。
1999年に渡仏し、最初はパリのサロンで働いたのですが、フランス美容はフランス人がやるものという文化の中で、ブラックカルチャーを意識した格好をしていた僕はなかなか受け入れてもらえませんでした。
自分がカッコいいと思っていることがかえって仇になる、自分のスタンダードが海外のスタンダードに当てはまらないこともある、それを知ったことが海外生活の第一歩でした。
その後ロンドンに渡り、ヴィダル・サスーンのスクールに通ったのですが、2005年にヴィダル・サスーンのアートディレクターを務めていたPeter Gray氏のアシスタントになったんです。
サロンで働くのではなく、ファッション業界のヘアアーティストとして彼と共に世界中を一緒に回り、様々な有名メゾンのコレクションに携わらせていただきました。ロンドンで8年間活動した後、ニューヨークでファッション業界のアーティストとして活動。これは僕の夢が叶った瞬間でもありました。
しかし、コレクションなどの華やかな世界の裏側には、美しいものをつくればつくるほどモデルの髪や頭皮を傷めさせているという現実があります。
その先に未来はあるのだろうか……そんな思いを巡らせていたときに、神奈川県・辻堂に新しく「テラスモール湘南」という商業施設ができるから、そこでサロンをやってみませんかとお声をかけていただいたんです。
当時はサロンの最先端といえば東京というイメージが強かったのですが、海も山もあって自然と共存している辻堂という地で、心地よさとかカッコよさを提供できれば面白いのではないかと思いました。
僕はそれまでパリ、ロンドン、ニューヨークという大都市を活動の拠点としてきましたが、首都圏から少し離れた場所からいろいろな発信をしていくことが新しい挑戦になるのかなと。そこで2011年に帰国することを決意しました。
何かを捨てるのではなく、別のものに形を変えて引き継いでいく
ご自身でサロンをオープンされるに際して、継承したことと刷新したことは何ですか。
初代である祖父のお店はバーバーでしたから、父の代になってレディースにもフィールドを広げたことは、祖父にとっては「うちを潰す気か!」というくらいの一大事だったと思います。
父は理容室を進化させ、発展・継承させていくためにマインドを変えたり、何かを捨てながら新しいものを受け入れたりしてきました。
僕もその変化の様子をそばで見てきましたが、今の時代は何かを捨てて新しく始めるというより、何も捨てずに別のものに形を変えて引き継いでいくサーキュラーエコノミー(循環型経済)にシフトチェンジすべきではないかと思うんです。それが新しい力になると思いました。
理美容業は消費するものがとても多い職種です。カラー剤やシャンプーなど、人を美しくすればするほど、そのバックグラウンドでは環境に負荷をかけています。自分のやりたいことを突き詰めて売上を上げるだけでなく、社会に配慮して働くことと向き合いながら家業をどう継いでいくかを考えなければなりません。
お取引している企業の方々と協力し合うことも大切です。僕だけでなくスタッフも同じで、自分のやりたいことをするだけでなく、社会に対して何か貢献できていないと働いている意義が感じづらく、満足して働けないと思うんです。
大量生産、大量消費がベースだった時代は常に数字に追われていました。売上至上主義の文化はまだ残っている部分もあり、もちろんビジネスとしてはそこもしっかり考えなければ成立しないのですが、売上を上げれば上げるほどゴミを出しているという現実と向き合い、サーキュラーエコノミーを追求することが課題だと考えています。
僕は3代目なので祖父や父の歴史がある分、とても幅広く方々との関わりがあります。
それを今後、僕がどう生かしていけるか、そういった方たちと一緒にどんな新しい未来をつくっていけるかが鍵になると思っています。
本田真一(ホンダ シンイチ)
1978年、神奈川県出身。中央理美容専門学校卒業後、1999年から12年間、パリ、ロンドン、ニューヨークを拠点に活動。2005〜08年はロンドンにてPeter Gray氏に師事し、有名メゾンのコレクションにディレクターとして参加。2011年に帰国し、神奈川県・辻堂にて『HONDA AVEDA hair&spa』をオープン。サロンワークと並行して国内外のヘアショーやセミナーなど多方面で活躍中。
HONDA AVEDA hair&spa
2011年、神奈川県・辻堂のテラスモール湘南にてオープン。30〜40代をメインに幅広い年代層のお客様が訪れ、髪へのダメージや環境に配慮した施術で高い評判を得ている。リラクゼーションにも力を入れており、ヒーリング効果の高いヘッドスパが人気。個室を2つ完備し、くつろぎの空間を提供している。
backnumber
-
矢崎 由二LIPPS Hair「フレームカット」の体系化に尽力。若い男性のお客様を顧客化するための工夫をお聞きしました。
-
古城 隆DADA CuBiCデザインへのこだわりや美容業界への想いなど、揺るぎない信念を感じたインタビューをお届けします。
-
みやち のりよしSHACHUカラー特化型サロンとして大きく飛躍。SNSを活用したブランディング、SHACHUみやちさんが語る展望とは。
-
原田 忠資生堂美しさとはパワー。ヘアメイクアップアーティストとして世界を舞台に活躍している原田さんの想いとは。
-
内田 聡一郎LECO渋谷系カルチャーを牽引し、美容界のトップを走り続けるLECO代表内田さんが語るこれからの美容業界。