矢部壮大さん/broocH | ||
子供の頃、父にカットしてもらったスタイルが気に入らず、それがコンプレックスになった。もっとおしゃれになりたい。そう考えるうちに美容師になることを決意する。美容学校時代は友人たちと夢を語るなど、大きな刺激を与えあった。そして、ヘアメイクの仕事に憧れて人気サロンに就職。ところが、現実とのギャップに悩み始めてしまう。
ライター 前田正明 | カメラ 奥村浩毅 | 配信日 2011.12.8
父のカットがコンプレックスになり美容師を目指す
私は、両親が小学校の教師を務める一般家庭の子供として育ちました。ただ、小さい頃はあまり裕福ではなかったので、実は父が私の髪をカットしていたんです。友だちは床屋さんや中には美容院でカットしている子もいました。当然、父のカットには満足できず、ヘアスタイルにコンプレックスを感じていたんです。中学生になると、やっぱり女の子の目を意識するようになりますよね。その頃から、カッコいいスタイルを作れる美容師になりたいと憧れを抱くようになりました。中学生の頃はお小遣いを貯めて理容室に行き、美容室に初めて行ったのは高校生の時でした。当時、禁止だったアルバイトをこっそりして、自分で貯めたお金で行きましたね。そして高校卒業後、美容学校に進みました。なぜ「美容」かというと、やっぱり、女性を相手にする職業の方が華やかでいいですから(笑)。
おしゃれなカフェで友人たちと夢を語り合った日々
美容学校時代は毎日が本当に楽しかったですね。高校が男子校だったこともあり、女子生徒が多い美容学校はにぎやかでみんなおしゃれでした。放課後には仲のいいメンバーと代官山のおしゃれなカフェでお茶をしながら将来の夢を語ったり、当時の流行について語り合いました。そんな友だちとの付き合いがとても刺激的で、自分にとって美容師としての出発点がそこにあったと思います。友だちも跡継ぎではなく、私と同じように青山や原宿界隈のサロンに憧れていた人ばかり。卒業後には、みんな有名美容室に入店して活躍していました。当時はストリートファッションが大流行していた時代で、カラフルなカラーリングやパンクファッションで街を歩く若者が大勢いました。そんな時代性にも刺激を受けていたと思います。
ヘアメイクに憧れて人気サロンに入社
卒業後、仲の良い友達の多くが青山界隈のサロンに就職しました。自然とみんな違うサロンに入店し、お互いを刺激しあえるいい関係が保てました。私はその頃からヘアメイクの仕事に憧れていて、多くのタレントや有名人を担当しているヘアメイクで有名なサロンに入社しました。ところが、見学もせずに入社したので、後に残念な思いをしました(笑)。実は、そのサロンはヘアメイク部門とサロン部門の2つに分かれていて、美容師として入社した私はヘアメイクさんの仕事を間近で見ることができなかったんです。ましてや、1年目の新人にとって憧れのオーナーは雲の上の存在。時々、サロンに来られて挨拶をするくらいでした。サロンも大勢のお客さまで忙しい毎日。自分が思い描いていたイメージとは違うと感じ始めました。さらに、当時のアシスタントは制服が与えられていて、学生時代にファッションに凝っていた自分にとって、そんな部分も歯がゆさを感じていました。
broocH代表。東京都出身。東京マックス美容専門学校卒業。都内1店舗を経て、ロンドンのサロンで勤務。帰国後、1店舗を経て2006年に東京・原宿にbroocHをオープン。『ヒトメ置かれる存在』をコンセプトに多くの女性客から人気を得る。2011年に姉妹ブランドのkoti BY broocHを設立。2012年にはネイルサロンのRosettをオープン予定。現在、サロンワークを中心にヘア雑誌・ファッション誌・広告・カタログ等の撮影に携わりヘアメイクとしても活躍。また、セミナー講師や美容メーカーと協力してスタイリング剤の開発も行う。
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