山田高子さん/ヘア&エステサロンYAMADA | ||
昭和初期から理容店を開業していた父から、家業を継いでほしいという強い希望があり、と理容師の道を歩んだ。しかし、女性として男性より上に出てはいけないという厳しいお達しで、競技会の出場は叶わずじまい。友人を頼っての他店修行や講習会への参加など、自己流で外の世界を体験し技術を習得。接客業の奥深さを感じた。
ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2011.10.6
職人気質の父から家業を継ぐようにと理容師に
父が昭和10年から東京都荒川区で理容店を営み、その家業を継ぐ形で私も理容師になりました。私は子供の頃から小学校の先生になるのが夢でしたが、兄弟を亡くして一人っ子だったので父からの強いお達しがあり理容師の道を歩むことになりました。下町で威勢のいい地元のお客さまからも「高ちゃん、跡を継がなきゃだめよ」って言われて。周りから固められて気付けば逃げられない状態でした(笑)。理容学校は近くの国際理容美容専門学校に通いました。当時は女性理容師も多く、専門学校時代は男女半数ずつくらいいました。やはり跡継ぎの方がほとんどで、地方から入学されていた人も多かったです。当時は、女性理容師が美容師の免許も取るはしりの時代でした。私も両方の免許を取りたかったのですが、父から「理容一筋で頑張れ」と言われて断念。職人気質の父はとても頑固で、私は競技会にも出させてもらえませんでした。理由は、女性が男性より上に出てはいけないから・・・。将来、私が結婚して旦那さんより腕が上手いと男が困るからですって。変わった父でしたね(笑)。
他店でサロンワークを手伝いながら自己流で学んだ
専門学校は理美容両方の学科があったので、私たち理容科の生徒もワインディングを学びました。誰が早くロッドを巻けるかというテストもあったので、卒業時にはきちんとワインディングもマスターできました。美容の技術も、理容師になってから大変役に立ちましたね。当時はインターン制度があったのですが、悪い虫がつくといけないからと、他のサロンには出してもらえず、実家のサロンでインターンをさせられました。本当は他のサロンで勉強したかったんですけどね・・・。理容師になってからは、友だちを頼って月曜日に営業をしている銀座のサロンにアルバイトに行ったり、カットオンリーのクイックサロンに行ったりして他店の仕事ぶりを体験しました。クイックサロンでの仕事は時間勝負なので、とてもハードだった記憶があります。でも、お店によってシステムやメニューが違うので接客の勉強になりました。また、接客業におもしろさを感じ、この仕事の奥深さを実感するようになりましたね。人間相手の仕事はとても面白いです。
田中トシオさんの快挙に感激しメッセージ大会に出場
父の言いつけで競技会には出場させてもらえなかったので、私はいつも応援役でした。出場できないなら見て学ぼうと、いろんな大会に見学に行きました。時には、「私の方が上手いのに・・・」なんて思うこともありましたよ(笑)。でも、そんな私でも大会に出たことがあるんです。それは東京都の理容師メッセージ大会です。実は、1992年に日本で開催された世界理美容選手権大会で、田中トシオさんが個人3部門と団体のすべてで金メダルを獲得された時に大変感激したんです。そんな田中さんのお話をメッセージ大会でスピーチしたことがありました。私は目指していた理容師さんや憧れの理容師像というのはありませんでしたが、46歳で世界チャンピオンになられた田中さんの努力や姿勢に感銘を受けて今でも尊敬しています。そんな田中さんも私に好意を持ってくれて、いろんな場所で私を見つけてはいつもお声をかけてくれます。田中さんからいただいた絵は、私の宝物です。
ヘア&エステサロンYAMADA経営。東京都出身。国際理容美容専門学校卒業。東京都理容生活衛生同業組合前女性部長。父が昭和10年に開業した理容店を継ぐ形で理容師となる。その後、講習会やセミナーに参加して技術等を習得。平成18年に新店舗を現在の場所に新設オープン。以後、女性ならではの発想でフェイシャルエステ等のレディースメニューを導入し女性客の獲得に成功。特に、主婦層に人気を得る。現在は地域密着型の理容店として、男性客6割女性客4割の集客を誇る。
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