森久美子さん/Apres Midi | ||
自分の夢を叶えるため、新たに就職先を探すことになった。しかし、すべて不採用。ところが、何気なく来店したKOZO美容室で採用される。それから、念願の撮影やヘアショーで活躍の場を与えられチャンスをつかむ。その後、独立・出店まで努力を重ね、難局を乗り切るも理想のサロンをオープンした。
ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.7.2
メイクが決め手になり撮影のスタッフとして活躍
名古屋の先生からは撮影の仕事もしていると聞いていたんですが、実際にはそれほど多くはありませんでした。だから、オーナーに私の希望を話したところ、自分の夢が叶うサロンを探した方がいいとアドバイスされ3ヶ月間だけ勤めました。それ以降は初めて自分でサロンを探しましたが、有名店を含めすべて断られました。途方に暮れ、気分転換でもしようと思い、お客として入ったサロンがKOZO美容室でした。そこで、私が美容師で就職先を探していることを告げると、面接に来るように言われ、面接をするとすぐに採用が決まりました。初めて企業としてのサロンに入社したので、店長になるためにはまず売上を上げて技術指導をして実績を作り、会社に認めてもらわなければいけません。だから、最初は売上を上げる為に、休日返上で働きました。それからは、大沼先生のアシスタントとして撮影にも同行させていただきました。ライバルはたくさんいましたが、私はメイクを勉強していたのでそれが決め手になりました。それ以来、失敗もありましたが先生の手がけたヘアにマッチするメイクができるように大沼ワールドを追求していきました。
厳しい指導で後輩たちを一人前にするのが置き土産
KOZO 美容室には約5年勤めました。入社当初から独立する希望を伝えており、その期間に大沼先生にも相談をしていました。最終的に先生は、私を幹部として登用したいと言ってくださったんですが、希望通り独立の夢を選択しました。それまでは1ヶ月に300万円の売上を上げたり各支店を経験させていただくなど、1つずつ目標をクリアしていき、ヘアメイクチームのリーダーも任せていただきました。そして、男性スタッフたちを店長にすることが私の最後の仕事だと思いスパルタ教育で厳しく指導し、彼らが一人前になったところで独立させていただきました。出店に関しては、あまり苦労はしなかったです。場所は、以前から気に入っていたこの目白に決めました。資金面も実家で工面してもらい、母の紹介で銀行からの融資も取ることができました。スタッフ募集は求人広告を使い、集客面では代理店に頼んでバックアップしてもらいました。そんな感じで、すべて恵まれたスタートでした。
午後の日だまりの中でくつろげるような癒しの空間を提供
今年で15年目を迎えますが、最大のピンチは改装した時に幹部スタッフがほとんど辞めてしまったことですね。売上も30〜40%減少して借金も増えました。でも、新たにスタッフを募集して1ヶ月間サロンを閉めて教育をし、なんとか難局を乗り越えました。この15年間ではサロンワークを中心に、さまざまなヘアショーにも参加させていただきました。KOZO美容室時代に優勝した横田富佐子杯ブライダルコンテストでのショーにはずっと出演させていただき、大沼先生のお声がけでインターコワフュールジャパンの会員になって夢の海外でのステージにも参加させていただきました。今では、スタッフを含め、すべての方に感動を与えるサロンづくりをモットーにしています。アプレミディはフランス語で『午後』を意味します。私たちのサロンに足を運んでいただき、午後の日だまりの中でゆったりくつろげる、そんな癒しの空間を提供したいと願っています。美容業界に携わる若い人たちには、夢を持って自分を大切にして頑張ってほしいですね。ネガティブなことを考えると切りがないので、それをプラスのパワーにするくらいのバイタリティを持ってほしいと思います。それと、独立を考えている人は、サロンワーク以上の大きな壁がたくさんあるので、人間としてくじけずに乗り越えていってほしいです。
アプレミディ代表。愛知県出身。中部美容専門学校尾張校(現一宮校)卒業。名古屋市内と岐阜市内のサロンを経て東京に進出。都内1店舗を経てKOZO美容室に入社。その後独立し、1995年に美容室アプレミディを東京目白にオープン。'97年には有限会社ルボアを設立。 '98年にアプレミディビスを東京東長崎にオープン。2000年には初の海外ヘアショーに出演。'02年にアプレミディを拡張。'03年にパリでのヘアショーに出演。'05年7月にアプレミディ(目白)を全面リニューアルオープン。'05年にパリでのヘアショーに出演。現在、サロンワークを中心に多分野で幅広く活動中。
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