森久美子さん/Apres Midi | ||
店長のテクニックを学ぶためオープニングスタッフとして岐阜へ同行。そこで技術の大切さを経験する。同時に、将来の独立を夢見て10年計画を設定。積極的に講習会に参加し海外留学などで技術をマスターする。さらに、撮影やヘアメイクの仕事を実現するため東京のサロンへ勤めた。
ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.7.2
確かな技術があれば地方のお客さまも都会的になれる
その方は似合わせのテクニックが上手で、仕事が早く笑顔が素敵な方でした。私はディスコ通いをあきらめて(笑)、何の迷いもなくその人のオープニングスタッフとして参加しました。ただ、将来的には名古屋のサロンに戻ってもいいという条件はいただいていました。当時の私はまだアシスタントだったので、この人について行けば基礎的なテクニックをしっかりマスターできると確信していました。むしろ、今がチャンスだと考えていたんです。名古屋のサロンは、いいお客さまを固定客にした歴史のある美容室でした。ところが、岐阜のサロンでは出店したばかりだったので、新規のお客さまを集客してのスタート。そこで感じたのは、立地条件として都会や地方の差はあれど、きちんとした技術で施術すれば、お客さまはすべて都会的で美しくなるんだということです。これは、日本全国どこへ行っても同じだと思います。それを証明してくれたのが、そのオーナーでした。
川島文夫さんの技術に憧れヴィダルサスーンへ留学
私は美容師になった頃から、将来の独立を考えていました。実は、ある美容師さんから、あなたの夢は何かと聞かれたことがあり、漠然と「35〜36才くらいで独立して自分のお店を持ちたいです」と答えました。すると、「君は、今18才で10年経ってもまだ28才なんだよ。20代で独立しないでどうするんだ!!」と言われたんです。その時、この世界で一生懸命に頑張れば10年後には独立できるんだと思い、20代で独立することを目標にしました。さらに、20才にはチーフになり、20 代前半で店長を経験する目標も立てました。それ以来、常に自分を追い込んで仕事をしていたので、毎日が充実していました。休日には、カットやメイクやフェイシャルエステ、あるいは着付や日本髪などあらゆる講習会に参加。特に憧れていたのは川島文夫さんです。川島さんの講習会はどんなに高額でも常に参加してすべてを吸収しようとしました。その影響で、ヴィダルサスーンの短期留学にも行きました。
撮影やヘアメイクの仕事をやりたくて東京のサロンへ
岐阜のサロンは約4年くらい勤めました。ヴィダルサスーンの留学から帰国して、また名古屋のサロンに戻りたくなったんです。そこで、オーナーに相談したところ、困惑しながらも名古屋の先生に相談するように言われました。ところが、先生に話をするとサラッと「ここにはあなたの居場所はないわよ」って(笑)。その代わりとして、知り合いの東京のサロンを紹介してもらいました。先生の話によると、そのサロンはヘアメイクや撮影の仕事もしているという事で、私の希望にピッタリでした。それと、ヴィダルサスーンに留学した時、私以外はみんな東京の美容師さんばかりで、そのカッコよさに魅力を感じ、東京は憧れの場所でした。すぐに東京のサロンに移り、まずはファッションを変える事から始めました。それまではOL風の格好をしていましたが、当時東京で流行っていたブランドの服を買いあさり、都会的に変身しようと必死でしたね(笑)。ところが、1ヶ月ほど仕事をしていて、ここでは私の希望通りの仕事ができないと思いすぐに辞めようと思ったんです。
アプレミディ代表。愛知県出身。中部美容専門学校尾張校(現一宮校)卒業。名古屋市内と岐阜市内のサロンを経て東京に進出。都内1店舗を経てKOZO美容室に入社。その後独立し、1995年に美容室アプレミディを東京目白にオープン。'97年には有限会社ルボアを設立。 '98年にアプレミディビスを東京東長崎にオープン。2000年には初の海外ヘアショーに出演。'02年にアプレミディを拡張。'03年にパリでのヘアショーに出演。'05年7月にアプレミディ(目白)を全面リニューアルオープン。'05年にパリでのヘアショーに出演。現在、サロンワークを中心に多分野で幅広く活動中。
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