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西田 斉さん/Bond HAIR-MAKE UP −待庵−

小さいながらも地元で自分のお店を持つことができた。しかし、そこで待っていたのは営業不振。『あなたのカットは心がこもっていない』と知人に指摘され、『みんなに笑顔を』という母の言葉を思い出す。その後、繁盛店に登り詰めて京都に移転するも、今度はスタッフ全員が退職。一度はリタイアを考えるも、応援メッセージを支えに奮起する。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2008.6.5

あなたのカットは心がこもっていない!

最初に出店したサロンは、わずか15坪でセット面が3面のサロンでした。実はオープンした当初は、流行らずお客様がまったく来なかったんです。というのも、ほとんどがサスーンカットで、ボブかレイヤーカットをしていましたから(笑)。そんな路頭に迷っていた時に、母が友だちを紹介してくれたんです。ところがその方が、『ヒトシちゃんのカットには心がこもってない。気持ちが入ってないから、お客さんは来ないわ。単なるええカッコしいの美容師や』って言われたんです。カットは上手かもしれないが、また来たいとは思わないと…。多分、抜け殻状態の自分を見透かされたんでしょうね。ある意味、ショックでした。そこで、以前母が言っていた、『みんなを喜ばせてあげて』という言葉を思い出したんです。そこから変わりましたね。仏教に『刹那』という言葉がありますが、その一瞬を頑張ることが大切だと感じてからは、次第に行列ができる美容室になったんです。その時、30才を越えていました。20代までは親のすねをかじっていましたが、ようやくそこで自立できたと今では思っています。

サスーンカットの応用でゾーンカットを完成

実は、お店が流行らず暇な時期、毎日ウィッグでカットの研究をしていました。それが30冊くらいのファイルになって、後に完成したのが『ゾーンカット』です。西洋のサスーンカットでは、骨格や毛量の違う日本人にはマッチしないと気づき、理論的に日本人の髪をカットできるように研究しました。そして、お店が流行り出して5年後に店舗を約50坪に拡張して、セット面が20面でスタッフが20人になりました。売上げも、1ヶ月に1000万円を越えていました。それから後に、母の出身である京都に移転しようと考えました。それは、町屋を生かした京風のサロン作りでした。高槻時代のお客様も4割くらいは来ていただいたんですが、そこでまた落とし穴に落ちたんです。実は、今まで技術者として歩んできたのに、京都に来てからは経営者という意識がいつの間にか私を守りの姿勢にしていた。つまり、経営の勉強を始めてから、サロンワークから遠ざかってしまったんですね。その結果、スタッフが徐々に辞めていきました。

スタッフの退職、臨時休業、そしてお客様の支え

5 人目のスタッフが辞める時、彼は『今まで西田さんは一緒に仕事をしてくれていたのに、自分たちから遠ざかってしまった』と言ったんです。たまにサロンに出て来てもすぐに帰るし、毎週月曜日はセミナーの仕事やその準備。ここで働いている意味がないと…。その時点で、まだ僕は気づいていなかったんですね、彼らの気持ちに。そのままの状態を続けているうち、スタイリストが全員辞めてしまったんです。僕自身夢は達成したし、その時40才だったので、もう美容師を辞めるつもりで、しばらく臨時休業にしました。その1ヶ月間は、まったくの無気力状態でしたね。その時考えていたのが、今までの自分には、遊びや余裕がまったくなかったということでした。そうするうちに、お客様から『いつからオープンですか、楽しみにしています』とか、心配してくださる大量の留守番電話が入っていたんです。そのメッセージを聞いた時、これからの僕を支えてくれる人が大勢いることに気づいたんです。人から愛の手を差し伸べられて、これから一緒に頑張って行こうという気持ちにさせられた瞬間でした。

その『刹那』今を大切に生きることが大切

再開してからは、今までやってきた『他人と競うことや争うこと』、そして『ええカッコすること』を今後は一切捨てようと思いました。美容の世界は争うことじゃないんだ。シンプルに、目の前のお客様を喜ばせてあげること、その積み重ねが大切なんだと再認識しました。それは、母をきれいにしてあげたいという美容師を志した当時の夢、川島文夫さんのタカラテクニカルセミナーで感動してヴィダルサスーンに憧れたことに通じていると思います。そんな気持ちを忘れていたんでしょうね。だから、初心に戻れた今が一番自然体なんです。そして、自分ともう一度向き直すためにブログも始めました。再度、『刹那』を生きるという意味で、今ではエキサイティングな日々を送っています。実は再開する日の朝、一瞬で気持ちが切り替わったんですよ。よし、今日から頑張ろうと。だから今は、まだまだ現役で頑張ろうという気持ちでいっぱいです。美容師というのは、お客様の身体の一部である髪の毛に触れて、お客様を美しくして、しかも感謝される素晴らしい職業だと思います。だからこそ技術が大切。そこで悩んでいる人がいれば応援したいですね。そのためのスクールを、これから作りたいと考えています。

大阪府出身。大阪整容美容専門学校(現大阪中央理容美容専門学校)卒業。大阪府高槻市の地元の美容室に入店後、1989年に渡英。ロンドンのヴィダルサスーン・ディプロマコースに留学。卒業後も技術の追求、創作活動を続けながら、日本と英国を行き来し、1995年に帰国。同年、大阪府高槻市に『Bond HAIR-MAKE UP』をオープン。2001年に京都市中京区に移転。京都の町屋づくりをそのまま生かした店内は、癒しの空間を提供している。現在、サロンワークを中心にカットのテクニックブックの発行、業界誌での撮影や全国各地でセミナー等の活動を行う。特に日本人の骨格を考慮したカットテクニックは好評を博している。

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