人気サロンに入社し、当時の最短記録の早さでスタイリストとなり、色々な経験を積んで30歳を目前に神戸で独立。ゼロからのスタートでありながら5年で2店舗展開、スタッフは17名に。快進撃を続ける神谷さんが考える、真のクリエイティブとは、美容師として忘れてはならない核心とは何かを熱く語っていただきました。
ライター 森永 泰恵 | カメラ 岡本 大翼 | 配信日 2019.7.25
“かっこいい人になりたい”その想いで美容の道へ
美容師を志したきっかけを教えてください。
両親共に美容師で、父は岡山県内で美容室を5店舗経営していたためとても多忙でした。僕は子どもの頃に野球をやっていたのですが、試合を見に来てくれたことはなく、遊んでもらった記憶もあまりないほどで、友達の親との違いにいつも寂しさを感じていました。忙しく働く両親を見ていたので美容師への憧れはなく、美容師にはなりたくありませんでした。そんな中、高校1年の時に友達を連れて父のヘアショーを観に行ったのですが、その時の父の姿が本当にかっこよくて。自分の父親ですが、感動したんです。みんなも“かっこいい!”と言ってくれて、高校生をかっこいいと思わせる父の仕事ってすごいなと思い、美容師になろう、こんなかっこいい人になりたい!と思いました。美容師になりなさいと言われたことはありませんでしたが、僕が自分から美容の道に進みたいと言ったら、両親は喜んでくれましたね。
ゼロから始めて一人前になりたかった
東京で就職したのはなぜですか?
専門学校卒業後は実家の美容室には入らず、東京でPEEK-A-BOOに入社しました。実家の美容室には僕が子どもの頃から知っているスタッフの方がたくさんいて、僕が入ることでバランスを崩したくなかったし、ここに入ったら甘えてしまうと思ったんです。ゼロから始めないと一人前になれないと思い、東京で就職しました。入社してからは、とにかく練習しました。勝ち負けではないんですが、誰にも負けたくなくて。5年くらい先輩まではライバルだと思っていましたね。アシスタント時代、誰よりも練習したという自負はあります。ブローの練習のしすぎで肩が上がらなくなったりしましたね。まだ20歳そこそこなのに四十肩みたいな(笑)。家に帰ってからも練習ばっかりしていました。クランプを取り付けるためのテーブルを買って、毎日毎日ウィッグと格闘した結果、家中、毛だらけに。遊ぶ暇もなかったのでウィッグが恋人のようになり、気づいたら一緒に寝ていたこともありました(笑)。でも、それくらい早くスタイリストになりたいという気持ちが強かったんです。元々器用なタイプではありませんが、技術やセンスは自分で作るものだと思っているので、頑張れば必ず身につくと思い、懸命に努力を積み重ねました。
売上130万円からの失客。その経験が教訓に
スタイリストになってからは順調でしたか?
そんな努力の結果、3年ほどでスタイリストになりました。PEEK-A-BOOの中では、その当時としては最短記録だったと思います。デビュー後、プレッシャーや不安がある中、とにかくお客様を増やそうと、大学生の友達に大学の学食に連れていってもらってひたすら名刺を配ったり、クラブにもよく行きました。そこでナンパなんてしたことないです!会う人会う人、みんなに名刺配りです!遊ぶよりも自分を売り込むことに奔走する毎日でしたが、その甲斐あって、デビュー月の売上は130万超えでした。みんなにびっくりされましたね。でも実際は技術が完璧には追いついておらず、大勢のお客様に来店していただいたにも関わらず、だいぶ失客もしてしまいました。それまでは大変なことがありつつも順調にステップアップし、尊敬する先輩方に認められたい、びっくりさせたいという気持ちが強く、またそれが自分のためにもなると思い、人脈作りも精いっぱい頑張りましたが、肝心な技術が伴っていなかった…。これは大きな挫折でした。でも逆にそれがあったからこそ色々なことを見直すことができたのだと思います。短期間のもろい数字ではなく、長期的な堅い数字を積み上げていかないとダメなのだと気づき、時間はかかってもひとつひとつを大事にして、基盤をしっかり作らないといけないと学びました。その頃の僕はプライドが高く、最短でスタイリストになって最高の売上を上げて天にも昇る気持ちでいましたが、中身はまだスカスカで、もろさがありました。核心が抜けていたんだと思います。とはいえ、色々なことを早く経験させていただけたので、今となってはいい教訓になったと感じています。
直感で決断。不安も怖さもあったがゼロからスタート
なぜ神戸で独立しようと思ったのですか?
元々30歳までには独立したいという気持ちが強かったので、28歳くらいから準備し始めました。師弟関係が重んじられる美容界には血筋よりも濃い職人の世界があると感じていたので、父の後を継ぐつもりはなく、自分のサロンをオープンすると決めていました。東京で独立することも考えましたが、たまたま神戸に行く機会があり、その時、居留地のブランド店と歴史ある建物が混在する美しい街並みを見て、ビビッと感じるものがあったんです。ここで自分の店を始めてみたい、直感でそう思いました。自分の土台をすべてリセットしてゼロから作っていきたいという気持ちがあったのかもしれません。とはいえ、それまでは“ブランドサロンの神谷翼”だったわけで、それがなくなりますし、「SCREEN」といっても誰も知らないわけですから、不安もあり怖かったです。後で調べたら、人口比率で言うと大阪よりも美容室激戦区だということがわかりました。

神谷 翼(カミタニツバサ)
SCREEN代表。
1984年生まれ。岡山県出身。日本美容専門学校卒業後、PEEK-A-BOOで勤務。2014年2月、神戸でSCREENをオープン。2015年4月に2店舗目となるSISTER.BY SCREENをオープン。2016年2月にSCREENを1、2階に拡張。サロンワークを中心に雑誌の撮影、ヘアショー、国内外でのセミナーなど幅広く活躍中。2018年JHA大賞部門ブランプリ。

SCREEN
“ヘアを通じてお客様の日常をより美しく映し出していく”をコンセプトに、本物を求めるお客様にいつもと違う“もうひとつのあなた”を提案。神谷オーナー自らデザインしたおしゃれな空間に、幅広い年代層のお客様が数多く通う。