TBMG - この人から学ぶ成功の秘訣! by タカラベルモント

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今回は、メンズサロン向け繁盛サロンセミナー「IKIMEN UP!セミナー」の講師を務められる、バーバーオーナーお二人によるスペシャル対談!
二代目オーナーとしてサロンに新たな風を吹き込むことに成功した三島裕和さんと、新天地でゼロからサロンをオープンさせ、5年で人気店を作り上げた額田進也さん。
お二人はタカラベルモントの短期集中型経営塾「粋MEN塾」の第1期生として出会い、塾卒業後も親交を深め、共にメンズサロンの活性化に向けて取り組んでいらっしゃいます。
対談では、サロンづくりのこだわりや集客、今後の理容業界についてまで、様々な角度でじっくり語り合っていただきました。

ライター 森永 泰恵 | カメラ 岡田 誠 | 配信日 2018.11.29

30歳で社長になることを夢に、理容の道に(額田)

理容師を志したきっかけは?

三島/高校進学前に父が理容店を創業し、地域繁盛店となって毎日忙しい日々を送る中、僕もサロンの手伝いをしていました。その中で、サロンの為に頑張る「自分」を見つけ、「ここには僕が必要なんだ」と思い、自然な流れで理容師の道を選択。高校卒業後は父のサロンに入社し、通信で免許を取得する道を選びました。
額田/僕は学生時代コンプレックスを抱えていて、他人に尊敬されるような人間になりたいと願っていました。自分でも何かひとつ“これだ!”と思える仕事に就こうと思い、30歳で社長になることを目標に掲げ、理容師を目指すことにしました。そんな時、たまたま父が通っていた理容室のオーナーから声をかけていだだき、高校卒業後にそのサロンに入社しました。
三島/免許は通信で取ったの?理容?理容と美容の両方?
額田/通信で理容の免許を取りました。美容にも興味があったのですが、オーナーから男がやるのなら理容のほうが間違いないと言われて。でも内心、女性のカットもしてみたかったですし、地元の岡山から出て1人暮らしをしたいという気持ちもあったので、4年で退社し、上京しました。最初は千葉のお店で働き、ようやく女性のお客様の担当もさせていただくようになりました。三島さんは新人時代、どんなことを考えていたのですか?
三島/そうだね、就職前の熱い思いとは裏腹に、サロンの過酷な現実を目の当たりにしたという感じでした。「自分が必要」から「誰でもよかったのではないか?」と思うようになり、疑心暗鬼になっていました。繁盛店だから当然なのですが、働く時間がとにかく長い。朝8時から夜11時までとか…。これはどうにかならないものか、将来的には変えていかねば、と自分なりの理想の形を考えていました。


父から店を任せてもらい、1年で赤字を解消しました(三島)

三島さんはお父様から店を任せられ、額田さんは独立され、経営者になって苦労したことは何ですか?

三島/1998年頃から徐々に売上が減少し、年間4000万円あった売上が2600万円にまで落ち込んでいました。それに対して経費やメニューの料金は変えずにやっていたので徐々に赤字に。父は自信をなくし、廃業も考えていました。そこで「僕に一度、店を任せてもらえないか」と父に提案したんです。それが2008年のことでした。
額田/すごい決断をされたのですね。僕は千葉のお店を2年で退社し、東京の自由が丘にある「KEEN」というサロンに入りました。その頃「自分は男性を切っているほうが好きだな」と気づき始めたんです。元々30歳になるまでに独立しようと考えていたのですが、自分の店は男性に特化したお店にしたいという思いが強くなり、独立することを決断しました。
三島/最初は資金繰りとか大変だったでしょ?
額田/そうなんです…。実は最初は杉並区に出店しようと思っていたのですが、融資が決定する前に気に入った物件を契約してしまい…。結局、希望額が借入れできず、物件契約を白紙に戻しました。当然、保証金は返ってきません。僕は途方に暮れて、「KEEN」のオーナーの倉田さんに泣きついたところ、江戸川区の居抜き物件を紹介していただいて。最初はあまり気乗りがしなかったので、倉田さんに「もう一度勤めてお金を貯めてから、自分の思い描いた場所でやりたい」と言ったら怒られまして。そんなに甘くないぞ、と。失敗してもいいからやりなさいと背中を押され、できる限りのことをしようと決意を改め、2014年にオープンしたんです。
三島/人の縁でたどり着いたという感じなんだね。
額田/そうなんです。居抜き物件だったので、最初はある物を使ってスタートできました。三島さんはどうやって赤字を解消されたのですか?
三島/スタッフの給料はそのままにして、僕の給料を毎月20万円減らし、父の給料も減らさせてもらい、損益分岐を下げることから始めました。固定費を下げること、メニューにプラスαをつけて単価を上げること、既存のお客様を減らさないこと、この3つを軸に考えました。スタッフは不安になるというより、逆に光が見えた、進むべき方向が決まったのでむしろモチベーションが上がったと言ってくれました。うれしかったです。翌2009年には売上が3000万円に回復しました。


受講後、売上はずっと右肩上がりです(額田)

お二人とも「粋MEN塾」※第1期生(2014年)ですが、参加されたきっかけは?

額田/ちょうどオープンしたタイミングで、有名な講師の先生方に経営について色々教えていただけるということで、これは行くしかないと。すごくよかったです。参加したことによって、やりたいことが明確になりました。いちばん参考になったのはコンセプト作りです。そこがはっきりしないとメニューも何も決められませんから。ターゲットを決めたり、店販はどうしたらいいかとか、データの活用法とか、本当に勉強になりました。また、三島さんをはじめ、たくさんのオーナーさんとも出会うことができ、お互いに情報交換したり、刺激し合える関係になれたことが本当にありがたいです。
三島/僕も額田くんと出会えてよかったです!僕は経営に関する数値や手法はある程度持っていたのですが、ブランド力という点ではゼロに等しい、もしくはマイナスからの出発だったので、そこが勉強になりました。
額田/30年以上の歴史があるお店ですから、ブランド力が十分ありそうに思えますが…。
三島/「寿」自体は浸透していたのですが、当時の「寿」を変えたかったんです。父はアイロンパーマが得意で、月に400人くらいお客様が来ていたのですが、それが今となっては“パンチの寿”みたいな印象が強く、流行に敏感な若い人たちがなかなか来づらいお店になってしまって。
額田/なるほど。若い子は美容室に行ったりしますよね。
三島/そうなんです。そういう状態がもどかしくて。それをまず払拭したいと思い、「粋MEN塾」に参加しました。アイロンパーマにデザインを加えたスタイルを打ち出し、「粋MEN塾」で学んだ手法でやってみたら、売上が上がりました。
額田/うちも「粋MEN塾」を受講後、売上は毎年130%超の右肩上がりです。スタッフも最初は2人でしたが、今は6人になりました。

※タカラベルモント主催のメンズサロン様を対象とした短期集中型経営塾。



三島さん・額田さんが講師を務められる繁盛サロンセミナー
バーバーサロン成功の秘訣が解き明かされる120分!




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◆premium hair salon 寿
三島裕和(ミシマヒロカズ)

「premium hair salon 寿」チーフ。1967年生まれ。埼玉県出身。埼玉理美容専門学校卒業。サロンの2代目として2008年より経営に参画。新たな顧客を掴み、売上をV字回復させる。アイロンパーマにデザインを加えたスタイルに定評があり、業界誌などで活躍中。

◇premium hair salon 寿/埼玉県新座市。1982年創業の老舗。地域密着型でありながら、遠方からのお客様も多数訪れる繁盛店。現在スタッフ5名。

◆GENTLE
額田進也(ヌカタシンヤ)

「GENTLE」代表。1984年生まれ。岡山県出身。岡山理容美容専門学校卒業。岡山・千葉・東京のサロンを経て2014年「GENTLE」をオープン。オープン以来売上は右肩上がり。

◇GENTLE/東京都江戸川区。2014年創業。ビジネスマンをターゲットにした全席個室スタイルのメンズ専門BARBER。現在スタッフ6名。

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