TBMG - この人から学ぶ成功の秘訣! by タカラベルモント

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理美容師だった両親の離婚で少年時代から新聞配達をして家計を助けた。過酷な毎日を過ごすうちに両親に対して恨みを抱くも、徐々に親孝行の思いが生まれ理美容の世界へ飛び込む。ところが、順調に技術者としての道を歩んでいた矢先に突然の交通事故で生命の危機に。そんな難局を乗り越えて奇跡的に復活し、多くの人たちの応援でサロンを開業。今では、内面美容をコンセプトにしたさまざまな癒し空間を展開している。

ライター 前田 正明 | カメラ 好川 桃子 | 配信日 2015.8.20

家計を助けるため小学生時代から新聞配達をしてエリア担当までをこなす

理容と美容の両方の免許を取得されているそうですがこの業界に入った経緯を教えていただけますか?

父が理容師・母が美容師としてサロンを経営していましたが、私が小学2年生の頃に両親が別々の道を歩むことになり、母は妹と一緒に大阪へ、私は父と高知に残ることになりました。しっかり者の母と違い、父はお金の管理が苦手な人で生活が徐々に苦しくなりました。そこで、私は小学5年生から働くことを決意し、新聞配達をして家計を助けることにしました。最初は新聞屋のご主人から子供扱いされて断られたんですが、雇ってもらうまで帰るわけにはいかず、シャッターが開く早朝3時まで夜通しお店の前で座り込みをしました。それを見たご主人が驚き、事情を理解して雇ってもらうことになりました。そして、2年ほど頑張った中学生の時、「君の本気度がよくわかった。今後は1つのエリアを買い取って全て自分でやってみないか?」って言われたんです。全てとは、朝夕刊の配達、集金、拡張、売り込みなどです。新聞代金だけをご主人に支払い、広告料などを含めてそこでの利益は全て私の取り分にしてくれると言うのです。当然、お金に困っていた私はすぐにお受けすることにしましたが、中学の時は野球部に入っていて夕刊の配達ができないので、ご主人に相談して人を雇って配達してもらうことになりました。だから、私が初めて他人にお給料を渡したのが中学1年の時になります(笑)。給料の9割は家計の足しにして残りは自分で貯金をしました。そんな生活を高校卒業まで続けながら、人を雇うことやマネージメントなど、経営の基礎を自然と学べたように思います。今、経営者としての自分があるのもその8年間の経験が大きかったですね。コツコツと貯金をし、最終的に200万円までになりました。ただ、雨の日も風の日も新聞配達をしていたので遊ぶ時間がなくて何度も辞めたいと思いましたよ。そんな毎日だったので中学の頃には両親を憎んだ事もありましたが、やっぱり親子ですよね、なぜか徐々に2人を喜ばせたいという気持ちになってきたんです。そこで考えたのが、父と母が営んでいた理美容の世界に入ることでした。当時の私は家業を継ぐとかこの仕事に憧れなどを抱いたわけでもなく、ただ両親2人を喜ばせたい、そんな親孝行の思いからこの仕事を選んだんです。

共感力と表現力を養いわずかデビュー2年で指名売り上げが200万円に

その後、サロンへの入社や新人の頃をどのように過ごされたのですか?

まず、この世界に入るなら大きな街で仕事を覚えたいと思い、大阪で探すことを決めました。サロンで働きながら通信教育のシステムを採用している会社を探し、さらに両親を喜ばせるために理美容の両方を展開しているサロンに入社しました。子供の頃から両親の仕事ぶりを見ていたし、新聞配達の経験もあるので現実社会での厳しさはあまり感じませんでしたが、新人の頃は給料が安いので驚きました。新聞配達よりもかなり安くて手取りが6万円。でも、そこから2万円を父に仕送りしていました。その時、絶対に稼げる技術者になろうと奮起し、通常は5年程かかるところを約2年でデビューしました。短い期間でなんとか顧客の心をつかみたいと頑張るうちに、自然と共感力と表現力が身に付いた気がします。スタイリストになり、約2年で指名売り上げが200万円になり給料も一気に上がりました。今では教育カリキュラム等が確立されているサロンが多いですが、当時はセミナーや講習会などもあまりなく、自分自身で努力しないといけない時代でしたからとにかく必死でしたね。

大型トラックに追突されて生命の危機にさらされるも奇跡的に復活

わずか数年で200万円も売り上げればそれ以降は順調に歩まれたのでは?

自分でも6年目くらいには店長になれるかなと思っていたのですが、4年目の時に大事件が起きました。高速道路で運転中に大型トラックに追突されて頭蓋骨陥没で脳挫傷を負い、生命の危機にさらされたんです。仮に生きていたとしても植物人間の状態だろうと言われていたそうです。ちょうどコンテストで優勝して全国大会へ臨む1ヶ月くらい前のことで、自分の中に悔しさがあったのでしょうか、奇跡的に命が助かったのです。救急車で搬送中に意識不明の状態でカットをする真似をしたという話を後に聞かされて、さらに生きたいという意識が高まりました。ただ、主治医から理美容師は無理だと言われました。紙に描いた点を線で結ぶように言われてやってみると、全然できないんです。手が全く思うように動かず、一度は絶望感を味わいました。しかし、悔しくて悔しくて逆に闘志がわいて、毎日必死にリハビリをしました。今だから言えますが、病院の屋上で患者さんを相手に、カットの練習をさせてもらった事もありました。なかなか思い通りにいかず、何度も挫けそうになりましたが、ある時他の患者さんから「あなたは生きる希望を持っているから素晴らしいね」って言われたんです。その言葉に励まされ、ヤル気がわいてきました。おかげで後遺症もなく徐々に感覚が蘇ってきて復帰することができましたが、今思えばよく生きていたなとつくづく思いますね。

株式会社ゼロプラス代表取締役、JOY/BOX代表。高知県出身。NRB日本理容美容専門学校・通信課程卒業。高校卒業後に上阪し、大阪府内サロンに入社。約6年間の勤務中において数々のコンテストで優勝や入賞を果たす。2001年、大阪・水無瀬で開業しJOY/BOXをオープン。現在、JOY/BOX本店、Green plus、River plus、Nail plusを展開。デザインを創る上で「ヘアデザイナーである前にヘアドクターである」をコンセプトに内面美容を提唱し、Herb galleryや炭酸泉・ヘッドスパを導入するなど、業界内外に向けて積極的に発信。現在ではサロンワークをはじめ、人材教育や外部講師など精力的に活動中。

「内面美容」をコンセプトにし、ヘアスタイルをいつまでも楽しんでいただけるために必要な頭髪のコンディションをベストにするための炭酸泉やヘッドスパ等を積極的に導入しているトータルサロン。より上質な大人空間を提供しながら、グリーンを基調にした五感に訴えかける特別な時間と濃密なリラクゼーションで来店客をおもてなししています。

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