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浅沼 章さん/HAREKE代表

家業の理容店を継いだが、外の世界を経験したくて修行に出る。美容室に行く若い男性が増え始めた頃、美容の世界に興味を抱く。最初に勤めたのは理容店。そして、美容師免許取得後に、美容室に入社。そこで感じたさまざまなギャップを乗り越え、浅沼さん独自のユニークな発想で努力を積み重ねる。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2007.5.10

髪の長さが違うだけでシャンプーが難しくなったと痛感

この業界に入ったのは、実家が理容業をしていたからです。当時はスタッフを雇っていなかったことと、私が長男だという理由で、家業を継いでくれと言われましてね(笑)。だから、7〜8年間は実家で仕事をしていました。その後、弟も理容師になったので、スキルアップの為に外の世界も見たいと思い、しばらく他店で勤めることにしました。最初に、村山 満ヘアルームというサロンで修行を積みました。そして、その数年後にZENKO美容室に勤めました。当時は、若い男性が美容室に行き始めた時代でしたので、とても美容の世界に興味があったんです。理容と美容の違いを最初に実感したのは、シャンプーでした。村山先生のサロンではバックシャンプーを取り入れていたので、経験積みでしたが、ZENKO美容室に移ったら手が動かないんですよ。髪の長さが違うだけで、こんなにも手をコントロールできないのかと驚きました。それと、環境の変化にも戸惑いましたね。

ジェネレーションギャップを感じながらも壁を乗り越える

ZENKO美容室を選んだ理由は、美容雑誌に掲載されていた作品を見たからです。当時は、ツーブロックなどの刈上げが流行っている時代で、そのタッチや表現力が上手だなと思ったんです。サロンの環境とかではなく、自分の感性に合っていて、私が作りたい作品がZENKO美容室では作れると感じたのです。だから、ZENKO美容室に入って、良い作品を作りたい、メジャーになりたいと夢を持ちました。技術面でギャップを感じたのはタッチの違いですかね。今までカッチリ作っていたので、ソフトな仕上げを要求されるようになってから、かなりレッスンしました。手で作る質感というか…。それと、当時19才の若いスタッフたちと同期入社でしたので、年齢的なギャップもかなり感じました。慣れないもので、体調も壊しましたから(笑)。でも、目標をはっきり持っていたので、あともどりしようとは思いませんでした。

売上げシステムの確立を条件に初の賃金アップを交渉

当時、いつも考えていたのは『楽しまなきゃ美容師じゃない』っていうことです。そして、お客様を楽しませるために、美容師として必要なパフォーマンスは何かということ。その為に、実力を身につけることが必要ですが、私は理容出身ということもあり、技術面でのベースは出来ていたんですね。接客面では、アシスタント時代に顔を覚えてもらえるように、そのお客様との会話などをカルテに全て書き込んで、次の来店時に生かしていました。その結果、指名客が増えて売上げがトップになったんです。それで、入社当時の約束で期限が近づいていたことと、弟を解放するためにも実家に戻ろうと思い始めていました。独立にあたっての不安感はありませんでしたね。それまで修行中に、経営者とのコミッションの場をもうけ、今、店では何が問題で、そのことをクリアするには何をすべきかということを何度も話し合っていました。例えば、スタッフとのコミュニケーションを図る為の飲み会の費用捻出や、家族を養うための手当てが欲しいと私から最初にお願いをするのです。その代わりとして、自分の中でミッションを立て、きちんと売上げを上げると条件を出して。その条件をすべてクリアしていたので、自分の中で自信として持っていましたし、独立してもうまく運営できるなという、手応えを感じていたからなんです。

国際文化理容美容専門学校卒業後に家業の理容店を継ぎ、村山 満へアルーム(理容)とZENKO美容室で修行。その後、再び実家に戻り、HAREKEをオープン。独自のユニークな発想とアイデアで、現在は2サロンを展開。サロンワークを中心に、雑誌や講習会などでも活躍中。

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