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中澤保人さん/macaroni coast

ファッション的かつ自分の手で表現ができる仕事をしたい。そんな希望を叶えるために美容師の道を選んだ。美容学校に入学後、スタイリッシュなスタッフが働くSHIMAに憧れて入社する。大勢の同期がいる中で、2年目で最初にスタイリストデビューを飾り、さらに憧れだった撮影の仕事にも携わった。

ライター 前田正明 | カメラ 藤村 徹 | 配信日 2014.6.5

美容師はすべて自分で手掛けることができる仕事

私は高校時代に、服飾か美容かどちらかの世界に進みたいという夢を持っていました。その頃、アパレル関係で働く知人が何人かいましたが、そのほとんどがショップの販売員で辞めてしまっていて、ファッションデザイナーになるのは難しいと実感していました。逆に美容師はすべて自分で手掛けることができ、これから成長する分野だと思い美容師になる決心をしました。いずれにしろ、ファッション的で、自分で表現できる仕事をしたかったんです。ところが、美容師は女性的な職業という理由で両親から猛反対。それを押し切って美容学校に入学しました。当時はまだ1年制の時代でカットやブローの授業はほとんどなく、国家試験に合格する為の授業でした。なので実践的な技術はサロンに入社してから学びました。卒業後に入社したのがSHIMAです。しかし、実は就職活動をしていた頃はSHIMAの存在すら知らず、別のいくつかのサロンから内定をいただいていたので、その中のサロンに入社する予定でした。ところが、あるきっかけで青山にあるSHIMAに興味を抱いたんです。

社会人として技術職としての厳しさを感じた新人時代

ある日、SHIMAに合格したクラスの友人がカットに行くというので私もついて行きました。それまで私はSHIMAの存在も知らなかったのですが、そこで働くスタッフの方々がスタイリッシュでカッコよく、私がそれまで見てきたサロンとは全く違っていました。ひと目でここで働きたいと思いました。そして、当時店長をしていたSIDE BURNの太地さんにお願いしたところ、すでに採用試験は終わっていたにも関わらずすぐに面接をしてくださり、なんと合格したんです。その後、学校にも無理をお願いして入社予定だったサロンをお断りしてもらい、わがままを通してSHIMAに入社しました。当時のSHIMAは成長株のサロンで、幹部の方たちは独立して現在は有名な美容師として活躍されています。新人の頃に感じたのは、やはり社会人としてや技術職としての厳しさです。自分がイメージしていたよりも遥かに大変で、努力を積み重ねて技術をマスターしないと自分のやりたい仕事ができないと痛感しました。私は器用なタイプではなかったのでかなり努力しましたね。

2年でスタイリストデビューし撮影の仕事も担当した

新人の頃の夢は、ヘアメイクの仕事をすることでした。当時は有名人のヘアメイクを夢見て美容を目指した人が多く、撮影の仕事にステイタスを感じていた時代でした。だから、独立して自分のサロンを持ちたいという発想は当時の自分にはまだなかったですね。私はSHIMAに3年半ほどお世話になりました。嶋先生は雲の上の存在で、先生の最後のヘアショーでアシスタントをさせていただいた思い出があります。当時からサロンでのレッスンは厳しく、カリキュラムの中にモードとデザインをいち早く取り入れた技術指導だったと記憶しています。私は2年でスタイリストデビューをさせていただき同期の中で最初に技術者になれました。きちんと指導をしてくださった先輩方に感謝しています。デビューが早かった分、撮影のお仕事をさせていただいたのも早かったです。当時独立に関してはあまり考えていませんでしたが、憧れていた先輩たちが徐々に独立してお店をオープンされたことに少なからず影響を受けたのは事実ですね。

macaroni coast代表。東京都出身。山野美容専門学校卒業。SHIMAを経て、1995年にDaBオープニングメンバーとして参加。店長、取締役を務めたのち、2010年にmacaroni coastをオープン。現在、サロンワークを中心に一般誌、業界紙、ミュージシャンやアーティストのPV、ジャケット撮影のヘアメイクなどで活躍。一昨年はJapan Hairdressing Award2012でゲスト審査員賞を受賞。アパレルの分野で、Patchy Cake Eaterのディレクターも務める。

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