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柾木 曜さん/Madu

家業の理容室を継ぐため理容師を目指す。はじめはあまり興味のない職業だったが、次第に楽しさを実感する。入社したサロンでコンテストに力を注ぎ、スタイリストデビューを叶えるために優勝を勝ち取る。さらに、男女の区別なくカットを追求しようとユニセックスサロンに入社。そこで、将来の夢が徐々にふくらみ始めた。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2013.12.5

「仕方なく」から「楽しい」へと変化した学生・新人時代

私の実家は祖父の代から和歌山で理容室を経営しています。子供の頃は父が2代目で家業を営み、私も3代目としてお店を継ぐように両親から言われていました。しかし、高校時代は理容という職業にあまり興味がなく、跡継ぎだから仕方なく専門学校に通うことに決めました。ところが、学校での授業が楽しくて次第に興味がわいてきました。卒業後は学校の紹介で大阪市内の理容室に入社。そこはコンテストに力を注いでいるサロンでした。私も腕試しでワインディングの競技に出場。もちろん一生懸命練習はしましたが、まだ未熟だったので入賞すらできませんでした。それがすごく悔しくて、優勝した人に話しかけたんです。「どうして、そんなに上手いんですか。どれくらい練習してるんですか」と。するとその人は「僕は朝に3回、閉店後にも3回。1日で6回は全頭を巻く練習をしています」と教えてくれたんです。当時の私は1日でわずか2回。勝てるはずがありませんよね。

カットコンテスト優勝でスタイリストデビューを勝ち取る

その話を聞いて、私も今までの3倍の練習に励みました。その結果、優勝こそできませんでしたが初めて入賞することができたんです。それが嬉しくて、サロンのみんなからも褒められることでさらにヤル気がわいてきました。しかし、そのサロンはすごく厳しくて、新人の頃はシャンプーとシェービングばかり。途中で退職しようかとも考えましたが、せめてスタイリストになるまでは頑張ろうと踏ん張りました。だから、早くデビューをしたくてオーナーに認めてもらうことに必死でした。その手段の1つとして、コンテストに力を注いでカットの練習をしました。その後、大阪府理容競技大会のカット部門などで優勝することができようやくデビューすることができました。それまで5年はかかりましたね。当時は近くの高校の前で手作りのビラを配り、集客を兼ねてカットモデルのハントをし、毎晩カットの練習をしていました。

ユニセックスサロンで先輩の美容技術を見て学んだ

コンテストで一度優勝すると、負けず嫌いの私は次の大会で負けるわけにはいかず、その地位をキープするのが大変でした。負けたくない一心で毎年毎年猛練習をし、その数年間でかなり技術の向上がはかれたと思います。技術が向上してくると今度は徐々に美容にも興味がわいてきました。男女どちらのスタイルもマスターしたいという思いが強まり、そのサロンを退職し、岸和田市のユニセックスサロンに入社。そこで初めて美容のカットを学びました。また、通信で美容学校に通い、美容師免許も取得しました。当時はユニセックスサロンが話題になった時代でした。私はカットをすることに楽しさを感じていた頃で、男性女性に限らずカットをしたくて、先輩の技術を盗もうと手さばきをずっと見ていましたね。実は美容師になってから、30歳で独立して自分のサロンを持ちたいという夢を持っていました。気付けば28歳。そこで、あと2年独立の為の準備としてサロン経営の勉強をしようと大阪市内の大型店に勤めることにしました。

Madu代表。和歌山県出身。日本理容美容専門学校理容科、関西美容専門学校美容科(通信課程)卒業。大阪市内の理容室に入社し、大阪府理容競技大会等のコンテストで数々の優勝を獲得する。その後、岸和田市内のサロン、大阪市内のサロンに入社。2005年に阿倍野区にMaduをオープン。その後、2010年に改装オープンする。「bring out an ability」(潜在能力を引き出す)をモットーに、美容を通じてお客様の笑顔と可愛いを引き出すことにこだわりを持っている。

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