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鎗田美樹さん/roraima

地元にオープンした新しいサロンに新鮮味を覚えた。それは、SHIMA出身の夫婦が経営するブランド系サロン。それまで悩んでいた髪質を理解してもらったことで、徐々に美容師に興味を抱く。その後、美容学校を卒業してSHIMA美容室に入社。ところが、現実の厳しさに挫折しそうになるも、店長からのアドバイスで気持ちに変化が表れた。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2012.10.4

新感覚のサロンに影響を受けて美容師を志す

私は中学の頃から自分の髪質に悩んでいて、そのため気に入ったヘアスタイルになったことがありませんでした。そんな私が高校生の時、あるご夫婦が地元に美容室をオープンされたんです。 私は、他の美容室とは違う新しい感覚のサロンに新鮮味を感じました。また、自分の髪質のことも理解していただき、それがすごく嬉しかったんです。実はそのご夫婦はSHIMA美容室出身の方でした。 そのお店に通うようになり、美容師という職業に興味を持つようになりました。そこで、進路を決める際に姉の助言もあり、美容師になろうと決めました。私はファッション関係に興味があり、将来的には自立をしたいと考えていました。 ただ、大きな夢を抱いて美容師を目指したわけではないので、今振り返ればこんなに長く続けられるとは思ってもいませんでしたね。当時は茨城県に住んでいましたが、父が単身赴任をしていたこともあり東京の美容学校に入学しました。

美容学校で学んだ社会人として大切な心構え

当時は1年制でインターン制度があった時代です。多分、今より授業は厳しかったと思います。美容学校では技術や専門知識の習得だけでなく、社会人としての心構えなども教わりました。「美容師とは、技術とサービスでお客様をおもてなしする仕事。少しぐらい体調が悪かったり落ち込んでいても、仕事を休んではいけないし、クオリティに差が出てもいけない。マイナス面を表情に出してもいけない。それがプロであり、働くこととはそういうことなんだ」こんな事を教えていただきました。美容学校時代に必死に勉強した記憶はありません(笑)。よく遊びましたね。その後、卒業して就職をする際に、地元に戻ってあのご夫婦のサロンに勤めるつもりでしたが、将来も含めて色々と考えた結果、せっかく東京にいるんだし、SHIMA美容室で働いてみたいと思うようになりました。東京で経験を積んで、2〜3年後に地元に戻ればいいかなと考え始めたんです。すると、偶然にも2次募集があり、応募したところなんと合格できたんです。そこで私の人生が大きく変わりましたね。でも、想像以上の厳しさを味わうことにもなりました。

いつでも辞められるんだと思うと急に気が楽に

SHIMAの先輩はみんな優しくて、美容師として尊敬できる人ばかりでした。しかし、仕事を甘く考えていた私は、美容という職業に厳しさを感じて、1年目から美容師を辞めたいと考え始めました。その理由は、拘束時間が長くて自由が全くないこと。とにかく毎日が多忙で悩んでいた時に、当時の店長からアドバイスをもらいました。「今の状態で他のサロンに行っても物足りなさを感じるよ」と。「今はつらくても、一人前になるまでは辞めてはいけない。辞めるのはいつでもできるし簡単なこと。続けるから成長できるし、そこに意味があるんだよ。気持ちを切り替えなさい」と言われたんです。それで、いつでも辞められるんだと思うと急に気が楽になりました。まだ未熟だったんですよね。それから頑張って、2年目から徐々に自分の将来像が見え始めたんです。そして3年目にスタイリスト昇格を機に、SHIMAを退職しました。

roraima、Neblina代表。千葉県出身。カネボウ総合美容学校(現ハリウッドビューティ専門学校)卒業。SHIMA美容室をはじめ、東京都内で3店舗を経て独立。 古田盛二郎氏と斉藤 誠氏との共同経営で、2000年に東京・代官山にroraimaをオープン。2008年にはNeblinaをオープンする。開業以来、お客さまの個性を活かすサロンワークを心掛け、中でもヘッドスパメニューの取り組みで顧客の定着率を高めている。 さらにヘアメイク事業も展開し、サロン経営に留まらずセンスの良さと鋭い視線で一般女性誌のヘアメイクや各種セミナー等でも活躍中。

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