時枝弘明さん/asia | ||
人気ブランドサロンにおいて店長まで登り詰め、更に周囲のフォローで仕事をしやすい環境に恵まれた。独立心はなかったものの、タイミングを感じて気持ちが揺らぎ一転して独立・出店。自分が求める理想的なサロン像を追いかけ、プロ集団として高いレベルを維持したい。そんな本物志向のサロン作りをスタートさせた。
ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2010.3.4
青山や表参道のサロンと郊外型サロンとの違い
ディメンション時代はプロフェッショナル集団に囲まれて、サロンワーク以外に撮影などの仕事もさせていただきました。いろんなテクニックや表現方法を学び、さらに売上げにもつながっていきました。また、海外での講習会にも参加させていただきました。サロンワークは大好きですが、店長という立場上サロンの名前を売るための対外的な活動も行わないといけません。ただ、宮村さんやCHIKAさんが独立していった中で、店の売上を落すわけにもいかない。そこで、各店長が協力し合い、ディメンションをうまく盛り上げていきました。周囲のフォローのお陰で、私はとても働きやすい環境で仕事をさせていただきました。私は不器用なので、サロンワークとお店の管理、外仕事と全てをバランス良く回すことができず、スタッフたちに支えられて運営していましたね。青山や表参道のサロンは、ニューヨークやロンドンのサロンと同じでお客さまはデザインを求めて遠方から来店されます。それに応えるため、研ぎすまされたデザインを作る上で排除しないといけない部分があります。それが郊外型サロンとの違いだと感じました。だからこそ、サロンワークに集中して仕事をしていました。
東洋人として黒髪のデザインを世界に発信したい
ディメンション時代は独立など考えていなかったです。ただ、先輩たちが独立していく中で、自分の将来とお店のことを考えていきました。ディメンションはカリスマブーム以前から知名度があり、若手のスタイリストも努力次第で台頭できる環境が整っています。そんなシステムがあったからこそブランドサロンとして確立されたんでしょうね。私は将来的に、年齢に関係なくきちんとしたデザインを提供してビジュアル化できる集団を作りたいと思っていました。そんな時に、紹介でこの場所(現 asia AOYAMA)に来て、鳥肌が立ったんです。これがタイミングだと思って独立を決意しました。その後地元への恩返しの意味で神戸・三宮にもお店をオープンしました。サロン名をasiaとしたのは、日本人あるいは東洋人として黒髪のデザインや文化を世界に発信していきたいと思ったからです。それまで、アジア各国で講習会も開いていたので、将来的にグローバルな展開をしたいとも考えていました。
プロの集団として常に高いレベルを維持するために
オープン当初は軌道に乗せるまで、自分の給料は最後の取り分として10万円くらいしかありませんでした。しかしそれより、スタッフたちに還元して早く同じポジションまで上がってきてほしいと考えていました。ただ、最初の頃は私も必死だったので、スタッフのみんなを広い視野で見てあげることができなかったこともありました。今では彼らの家族も同じ社員として思えるようになり、スタッフの将来的なことも考えています。それと、プロの集団を築き上げていく中で、常に高いレベルを維持できるように気を配っています。今のお客さまが3年後や5年後まで来ていただくためにはどうすればいいのか。そのために自分はどのように成長して物事を判断していけばいいのかなどを考えています。今のお客さまは常に高いレベルでデザインを求めていらっしゃるので、私たちも本物志向で頑張っていきたいですね。最後に、この業界で頑張っている若い人に対して、足元ばかりを見るのではなく将来的な夢を持って進んでいってほしいと思います。それと、他人がなんと言おうがそれを実現させるために折れない心を持つことです。次の世代の人が良い影響を受けてくれるよう、私たちも夢を実現させ、お手本を示していけるよう頑張っていきたいと考えています!
asia 代表。兵庫県出身。日本高等美容専門学校(通信科)卒業。神戸で1店舗、都内で2店舗を経て、2003年にasia AOYAMAをオープン。サロンワークのみならず、様々なタレント・アーティストのヘアメイクとして活躍。そのかたわら、全国各地の審査員ならびに商品開発など様々な分野でも関わりを持つ。また、2006年度Japan Hairdressing Awards NEW COMER OF THE YEARを受賞。柔軟・繊細・大胆・アクティブと独自の感性を持ち、一般的なスタイルからクリエイティブな作品を幅広く生み出している。現在は日本だけでなく、アジアでも講習の幅を広げ、より多くの人に技術を伝えている。さらに、2008年12月には顧客別パーソナル対応型のサロンを神戸・三ノ宮にリニューアルオープンし更なる展開を継続中。
backnumber
-
野々村かおりLu cocon 郁里主人と出会い1年後に結婚。京都で個室型サロンを出店し、二人三脚の時代がスタートした。
-
中井宏昭bianca将来のビジョンや夢がなかったころ、コンテストに刺激を受け興味がわいた。強い人と戦うことに気持ちが高ぶった。
-
山田磨由美shower3年後には美容師として確立できるよう、2年ですべてマスターしようと決意。自分自身を追い込んだ新人時代。
-
KEIOOO(オーオ)美容師の母が猛反対するも、自分が目指す美容師像はクリエイターだと信念を貫いた。
-
岸井貞志M.SLASHただ漠然と仕事をするのではなく、自分の目的意識がはっきりしていた。その結果1年目から売上げがトップに。