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山田磨由美さん/shower

日本の美容室の原点である着付やセットをマスターして、トータルビューティーを創造したい。さらに、作品として形に残したいという願望が沸きヘアメイクへの興味が高まった。その後、知人を通じて舞台や有名タレントのヘアメイクとして活躍。その一方で、バブル崩壊とともに勤務先が倒産。自分の理想の職場環境を確立するために独立を決意した。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2009.12.3

カット&ブローが流行った時代にトータルで美を追求

私はセットや着付も学んでいたので、入社して間もなくコーチにもなりました。ヘア以外の技術をマスターしたかったのは、自分の仕事を形にして残したかったからです。日本の美容室の原点は、メイクや着付、さらに「お美顔」と言われたエステティック的な技術でした。当時は、時代の流れでカット&ブローのサロンが増えていましたが、一過性に過ぎないと思っていました。だからこそ、美容業としてカット以外の技術もマスターし、それらを用いてトータルで『美』を表現したいと考えていたんです。さらに、作品として写真に撮って残したい。それが、ヘアメイクに興味を抱いた理由です。心斎橋のサロンに移るとお客さまの層も広がり、芸能関係者やモデルさんたちが来店されてそこからヘアメイクの仕事につながりました。

ヘアメイクに対する理解が少ない時代に独立を決意

さらに、ある女優さんの着付とセットとメイクを依頼されたこともありました。専属のヘアメイクさんが着付はできないということで知人を通じて私が抜擢されたんですが、その仕事ぶりを気に入ってもらい8年間も担当させていただきました。心斎橋のサロンは8年間勤めましたが、実はバブルの崩壊とともに倒産。やむを得ず独立する形で出店したんです。最初は先輩のサロンに間借りをして、倒産前にすでに予約をいただいていたお客さまを接客しながら物件を探しました。改めて別のサロンに入社するにも、ヘアメイクの仕事をさせてくれる環境や概念が当時の美容界にはなかったので出店を決意。また出店後にブライダル部門も立ち上げました。当時、ブライダルのヘアメイクは式場が行うのが通例でしたが、長年私が担当したお客さまがご結婚をされる際に、「人生の一番大事な時に担当の美容師さんが何もできないシステムはおかしい」とおっしゃったのを「なるほど」と思い心斎橋のサロンで確立。それを、独立後にも導入したんです。

苦労して確立したシステムを自分のサロンに移行した

独立して苦心したのはやはり物件探しでした。私はトータルビューティーを目指して大人の雰囲気のサロンにしたかったので東心斎橋にこだわりを持っており、物件探しに7カ月もかかりました。実際に独立して感じたのは、勤めている時の方が大変だったなということです。私はそれまで、ブライダルメニューや予約制の確立、さらには制服を廃止して私服でサロンワークをするなどいろんな面で改善を提案し実現してきました。そのためにオーナーと意見が対立することもあり苦労もしましたが、独立して今までのシステムを移行させたので、新しく立ち上げる苦しさはなかったです。最初のお店は13坪くらいでセット面は4面、シャンプーブースは2台。スタッフは4名でスタートし、徐々に増えて最終的には8名に。オープン当初からフル稼働で忙しかったですね。

shower 代表取締役。山口県出身。高津理容美容専門学校(夜間課程)卒業。大阪市内で2店舗を経て、1993年7月にshowerをオープン。現在、サロンワークを中心に、映画、舞台、TV、ヘアショー、雑誌等のヘアメイクや国内外での各種セミナーの講師としても活動中。また、タレントの専属ヘアメイクも経験するなど、活動の場を業界内外で展開。1991年から3年間、全アジア・ヘアーメイク大会で日本代表に選出され、 2002年にはセバスチャン・オブ・イヤー2002にて世界チャンピオンに輝く。2009年10月に、白と赤を基調にした北欧風のサロンを移転オープン。美容業を中心に、ネイル、エステティック、ブライダル等、トータルビューティを提案している。

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