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中井智美さん/switch

もっといろんなサロンで経験を積みたいと、帰郷せずに東京に残ることを決意。2店舗目として選んだサロンは、それまでの環境とは違う表参道にある有名店。スタイリストとしてキャリアを重ねていた頃、『カリスマ美容師ブーム』という時代の流れに乗り、ヒットスタイルで売れっ子美容師に。そして、おぼろげながら独立・出店を意識し始める。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.4.2

『カリスマ美容師ブーム』の頃にスタイルがヒット

2店舗目に勤めたのは、表参道にあるアクロスというサロンでした。他にもいろんなサロンで面接を受けましたが、なかなかスムーズには決まりませんでした。そこで、唯一私を迎え入れてくれたのがアクロスだったんです。当時は、NATURAの塩崎さんやU-REALMのyu-kiさんたちがスタッフとして一緒に働いていました。やはり、立地環境的にも広尾のサロンとは感覚が違っていて、大きな刺激を受けましたね。どちらかと言うと、私は運に恵まれていて、チャンスをタイミング良くつかんでこれたんだと思います。その代わり、どんなに小さな事でも、決して妥協はせず、目の前にある仕事を精一杯務めてきました。さらに当時は、『カリスマ美容師ブーム』だったこともあり、依頼を受けた雑誌の撮影で私が作ったスタイルが好評を得てすごく流行ったという、時代的にラッキーな面もありました。もちろん誰もが当たるわけではないのですが、当たると1ヶ月の売上げが50万円だったスタイリストが150万円になったというような時代でしたからね。そんな波に上手く乗ることができたように思います。

お客様を第一に考えて東京での出店を決断

いずれは地元に帰ってお店を持ちたいという願望はありましたが、当時から東京で出店するなんて考えてもいませんでした。それはいろんな問題を含めて、東京で経営していくのは大変困難だと思っていたからです。アクロスには8年間在籍して、不満もなくすごく楽しい時間を過ごすことができました。ただ、年齢的なことを考えていくうちに、いつまでもここで働いていていいのかと自問自答するようになったんです。若い人を育てながら、今までやってきた自分の証を何かの形で残したいと思うようになりました。それを、今やらないと5年や10年先では自分のパワーがなくなってしまう気がしたんです。それが、おぼろげながら独立を意識した最初の感覚でした。それから徐々に独立心が高まり、本気で出店を考え始めました。最初に思ったのが担当しているお客様にはご迷惑をかけられないということ。つまり、あまり遠い場所での出店は申し訳ないと考えたんです。

12月30日まで勤務してオープンは1月8日

独立して青山・表参道界隈に出店を決めたのは、お客様のことを第一に考えての決断でした。だから、東京で一旗揚げてやろうなんて大胆な気持ちではなかったんですよ(笑)。資金に関しては、それまでの貯金や親からの援助でそれほど苦労はなかったように思います。ただ、アクロスを退社し、9日後にはオープンの予定だったのですが、最後の1ヶ月半はお休みが取れず、出店の準備が本当に大変でしたね。アクロスでサロンワークをしながら、平行して出店の準備をしていました。 12月30日まで働いて、オープンは1月8日。年末年始で業者さんもお休みなので、すべて年内に準備を済ませておかないといけない状態でした。アクロスはお昼から夜10時まで営業だったので、午前中は業者さんと打合せ。仕事が終わってから面接やスタッフミーティング、あるいは店内の片付けなどをしていました。家に帰ってからはパソコンでDMを作成したりして、寝る間もなく超ハードスケジュールで出店の準備をしました。どうやって頑張っていたのか自分でも覚えていないくらい、本当にハードでした(笑)。

switch 代表。富山県出身。富山県理容美容高等専修学校卒業。卒業後、インターン生として県内のサロンを経て上京し、東京・広尾のサロンに入社。5年後に退職し、表参道のカーニュ(現アクロス)に入社。8年間勤務後に退職し独立。2005年、表参道に『アートなCafe風サロン』をコンセプトに、50〜60年代のアンティーク家具とモンドリアンデザインを取り入れたサロン『switch』をオープン。現在、サロンワークを中心に雑誌の撮影などでヘアメイクとしても活躍中。

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