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小林純子さん/B.a.l.a.n.c.e

現役の美容師として一生を貫くために、SHIMAは自分をサポートをしてくれる最高の環境だった。ところが、時代の流れとともに、サロンのシステムと自分の理想とにギャップを感じて退職を決意。充電期間を設けて実家に戻り、目にしたのは美容師として楽しそうに仕事をするの母の姿だった。そこで、自分も理想のサロンを作ろうと決心。それは、代官山の『パーマ屋さん』だった。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.2.5

遊びの中からいろんな影響を受け吸収した

SHIMAに入社して2年目を迎えた頃、それまでもらっていた実家からの仕送りを拒否しました。いつまでも甘えていると自分のためにならないですからね。だから、お金を増やすには、自分で頑張るしかないと考えました。当時は六本木のディスコに通って深夜まで遊んでましたね。そのために、食費を削ってまで洋服を買ったり、あるいは同僚と飲みに行ったり…。そこで知り合ったアパレル関係の人と、ファッションやヘアやメイクの話をして交流を深めたりしました。これらは、地方から上京した私にとってコンプレックスを打破し、理想の美容師像に近づくための手段でもあったんです。最近の若い人はスマートすぎて、ハメを外して遊ぶ感覚がないように思います。私たちの頃はトンガってる人が多かったから、遊びの中からいろんな影響を受けて多くのことを吸収できる時代でした。だから、深夜までレッスンしたり遊ぶことが楽しくて、自分の目標に向かって進んでいるんだという実感がありました。あの頃は、つらいと思ったことがなかったですね。

理想の美容師像に向かっていたジュニア時代

私はジュニアの頃から、レッスンを受けたり先輩のカットを見ていて、『自分ならこういう風に教えるのにな…』とか、『私ならこうカットするのに…』と常に置き換えて考えていました。ある日、SHIMAの技術マニュアルに関する会議が開かれていたそばで、私がカットの練習をしていた時のことでした。当時のディレクターだった八木岡聡さんが、会議が煮詰まった様子で部屋から出てきて、私にこう聞いたんです。『あなたが刈上げボブを切る時、まず最初に何をする?』と。私は一番大事な部分として、まず前髪の似合う位置を決めて、それからフェイスラインを切ると答えました。当時のSHIMAのマニュアルは、バックからカットしていたんです。私は以前から疑問に感じていました。バックの長さより、大切なのは顔まわりでしょうと。それを聞いた八木岡さんが『そうだよね!』と言って部屋に戻っていったんです。それ以来、SHIMAのマニュアルがフェイスラインからカットするように変更されたんです。こんな風に、私は自分の理想の美容師像に向かっていて、それが間違いではなかったと確認させられたことがいくつかありました。SHIMAで過ごした約15年間は、私にとって本当に充実した時間でした。希望のサロンに入社でき、嶋先生を含め先輩方はすべて、お付合いすればするほど素敵だなと思える、憧れの存在でした。だから、他のサロンのことは考えず、まずSHIMAでどんな仕事ができるか、いかに期待される美容師になれるかを最優先で考えていました。

時代の流れとともにギャップを感じSHIMAを退職

独立に関していえば、実は私は一生SHIMAで勤める気持ちでいました。それは、自分がオーナーになりたくて、あるいはお金儲けをするために美容師になったのではないから。私は一生現役でいたいし、そのためにサポートしてくれる最高の環境がSHIMAだったのです。だから、辞める直前までSHIMAに勤めると断言していました。ところが、年齢的な感覚からか、徐々にSHIMAのシステムと自分の理想とにギャップを感じ始めた時、『もう、私の居場所ではないのかも』と思ったんです。それを専務に相談した時に、独立もやむを得ない時期なのかと理解していただきました。それでも後悔しないかと悩みましたが、そこで母の存在が影響してきたんです。私がなりたかった美容師とは何かを、母の姿から再確認したんです。実は、退職してすぐお店を始めるとSHIMAのコピーになると思い、約1年間をリセットする期間としていろんなことをして過ごしました。その中で、実家に戻ってやはり楽しそうに仕事をしている母を見て、『私は、お客様ともっと話をしたかったんだ』と気づいたんです。今までのサロンワークは予約で一杯だったので、これからは一生涯お付合いできるお客様と、プライベートを含む会話も楽しみたいと感じました。そこで、私も母と同じようなパーマ屋さんを作ろうと思いました。場所は、今まで馴染んだ代官山で。物件を探していた頃、よく通っていたお気に入りのカフェがあり、『こんな木造の一軒家でサロンができたらいいな』と話していました。すると翌月に、なんとテナント募集の張り紙がしてあったんです!

B.a.l.a.n.c.e 代表。新潟県出身。東京綜合理容美容専門学校卒業。嶋ヨシノリ美容室(現、SHIMA)に入社。15年半の勤務で店長を務める。その後、独立のため同サロンを退社し、約1年間の充電期間を過ごす。1999年5月に結婚。同年8月、代官山に B.a.l.a.n.c.e(バランス)をオープン。現在、サロンワークを中心に雑誌や広告の撮影等でも活躍中。また、サロンのホームページにおいて自叙伝を執筆中。

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