





本田 真一

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家業を継ぐレールには乗ったが、親の名前に頼れない海外での修行を決意 |

-- 家業を継ぐことに抵抗はありませんでしたか。 |


祖父が1958年に神奈川県・大和で理容室を開業し、父が現在の『HONDA PREMIER HAIR』の礎を築いたのですが、当時の父は国内外を飛び回る日々でほとんど家にいなかったこともあり、祖父がよく僕と遊んでくれました。
僕を自転車の後ろに乗せながら「お前は3代目だから、がんばらなきゃいけないんだぞ」といつも言っていたのを覚えています。
祖父は飲みの席ではベロベロに酔っ払って盛り上がっているのですが、いざ仕事となると別人のようになり、お客様や仕事道具を本当に大切にし、「早くてきれいに丁寧に」が口癖でした。
忙しい父と過ごした時間はあまり多くはなかったのですが、父がヘアショーに出たりメディアに取り上げられたりしているのを見て、子どもながらにすごいなと思いましたね。
周りの人から「お父さんが有名だから大変だね」と言われることもあり、それをプレッシャーに感じたこともありましたが理美容師以外の選択肢があるという考えも浮かばず、高校を卒業したとき、ごく自然に家業を継ぐレールに乗って理美容専門学校に進学しました。
幼い頃から理美容業の厳しさを間近で見ていたからでしょうか、卒業後は実家で修行を積みたいとは思わず、かといって別のサロンで修行をするという感じでもなく……。
当時(90年代後半)流行っていたブラックカルチャーや音楽に影響を受け、海外で修行してみたいと思いました。
日本にいるとどこにいても「本田誠一の息子」という大きな看板を背負い続けなければならず、それがなんとなくフェアではない気がしたんです。
だからこそ、そういうこととは一切、関係ない場所で挑戦しようと思いました。
家業を継ぐことが宿命ではあるけれど、今は一旦、いろいろなことをしてみたいと思ったんです。










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