





山下 浩二

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「波」が来た!とはっきり感じて、独立を決意 |

-- 独立の経緯を教えてください。 |


80年代の後半、僕は20代後半に差し掛かっていました。
その頃はバブル全盛期で、原宿にお店を出すには保証金だけでも何千万円という時代でしたが、90年代に入りバブルがはじけ、原宿界隈はガラ空きになったことでお店が持てるようになったんです。
当時すでにZUSSOを辞めて、共同経営でサロンをしていましたが、経営に関する考え方の違いもあり、僕1人だけで独立することを決意しました。
といっても、所持金80万円だったんですけどね(笑)。
バブルがはじけて物件がたくさん空いていたということもありますが、独立に向け方々をかけ回り、94年に原宿にHEARTSをオープンしました。
僕には“チャンス”が大きな「波」のように来るのが見えていました。
不安よりもやる気の方が上回っていたのを思い出します。
この「波」って何か分かります?これは、ヘア雑誌ブームなんです。
今ほどではありませんでしたが雑誌の種類が増え始めた頃で、雑誌を手に取る消費者が多くなった時だったんです。
そんな中、創刊したてのZipperやヘアカタログなどの美容雑誌、業界に特化した専門誌などさまざまな雑誌に出させてもらう事が続きました。
雑誌に参加した事で、企画から加わることが増えたんです。
その時、サロン特集を任されるチャンスを頂きました。
当時は、特集モデルがサロンのスタッフという場合もあり、クオリティが決して高いとは言えませんでした。
そこで、事前にモデルのポラチェックをすることを提案したら、途端に雑誌が売れるようになったんです。
今ではポラチェックって当たり前かもしれませんが、当時は革新的だったんですよ。
他にも、ZUSSO時代に、その頃の超有名ファッション誌に当時の金額で1ページ数十万円のタイアップ広告を出したのですが、外人モデルと一流メイキャップアーティストを起用してスタイルを作り上げたのに、それを見て来店されたお客様は1カ月に数人でした。
でも、別の女性誌でリアルなサロンのヘアカタログや、ビフォーアフターの特集をしたら、1カ月で50人以上も来店されたんです。
消費者の求めているものが見えて、その時、「これだ!」と感じましたね。
ちゃんとやったら大変なことになる…と。










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