16.10.13更新
THE BARBER
ヒロ・マツダ
ヴィダルサスーンやトニー&ガイを抑えてBeauty EXPOで最高峰を受賞
-- コンテストに出場して日本一になるまでのご苦労は何でしたか?

コンテストに出場した当初は入賞もできす、7年でようやく日本一になりました。
それが35歳の時で、レディス部門での優勝です。
実は講習会で講師の依頼を受けていたこともあり、スタッフのアドバイスで28歳の時にワールドヘアモード協会という研究団体を設立しました。
当時はたくさんの加盟サロンが集まり各地で講習会を行っていました。
そんな経験もプラスとなり、コンテストの成績が徐々に上がり、これならやれるという自信がつきました。
精力的にサロンワークと講習会を行いながら、コンテストの練習は深夜の1時からという日々を送っていたので、当時の睡眠時間は2〜3時間でしたね。
でも、まだ若かったので寝るのが惜しいという感覚でしたよ(笑)。
日本代表として世界大会にも出場しましたが、印象に残っているのは1989年にロサンゼルスで行われたBeauty EXPOです。
これは世界の見本市・展示会の一大イベントで、開催期間中にヘアショーのコンテストがあり、日本代表で出場した私が「The Best OF World Theater」を受賞しました。
私は西洋のスタイルではなく日本の伝統美をテーマに展開し、それが高く評価されたようでした。
そのヘアショーにはヴィダルサスーンさんやTONI&GUYの設立者でもあるトニーさんらも出場されていましたから本当に嬉しかったですね。
2003年には「現代の名工」もいただく事ができました。
これまで頑張ってきた事を認めていただけたんだと思い、喜びと感謝でいっぱいだったのを覚えています。

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ヒロ・マツダ
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