16.10.13更新
THE BARBER
ヒロ・マツダ
2世代経営による意見の相違は出店の提案で規模を拡大して回避した
-- 独立して苦心したことやその後の経緯を教えていただけますか?

実は独立して2年くらいの頃に、父がまた体調を崩したので、八王子のサロンを閉店して日野で営業していた父のサロンを手伝うことになりました。
私より年上のスタッフが4〜5人いましたが、八重洲の高級サロンに勤めていたので自信はありました。
本格的に理容業に取り組んだのは、ここからかもしれません。
ところが、父と私の間で経営方針が徐々にずれてきたんです。
父は今までの経験値で考え、私は東京のサロンで学んだことを生かしたい。
そんな2世代でのバトルが始まったんですね。
でも、親子で喧嘩別れする訳にもいかないので、支店を出店して、それぞれのサロン展開をしていきましょうと私が提案し、お店を拡大していきました。
私はその間にコンテストに関心がわいて、27歳から出場しはじめ、日本一になるまで毎年挑戦しました。
29歳の頃にはロンドンのヴィダルサスーンに留学してカット技術を学びました。
それまで理容の世界にいた私は、ヴィダルサスーンさんと出会ったことで美容のカット技術に興味を持ち、パリのアランインターナショナルにも留学しました。

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ヒロ・マツダ
1| 専門学校時代のボラン…
2| 稼げる理容師になり自…
3| 2世代経営による意見…
4| 海外アカデミーでの経…
5| スタッフはウサギとカ…
6| ヴィダルサスーンやト…
7| 理容の原点に立ち返っ…
8| お客様が不快に感じる…
9| お客様の志向と求める…
10| 人と人とのお付き合い…
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