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武田 敦さん/BLESS

念願かなってMINXに入社するも、4年目には創作するテイストの違いに疑問を感じた。そこで独立を考え、友人と共同経営で出店。しかし、考え方の違いや雑音が邪魔をし、わずか数ヶ月で別離。自分の進むべき道を模索しているその時、救いの手を差し伸べてくれたのは、恩師・高橋マサトモ氏だった。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2008.9.4

サロンのコンセプトとは異なるデザインを発表したが…

秋にMINXに面接を受けた時は、一度受けていたので履歴書は持参せずに行きました(笑)。ところが、もちろん忘れられていたので、今思えばよく受かったなと思います(笑)。当時のMINXはまだ2店舗で、スタッフ数も30名くらいでした。MINXにはトータルで15年くらい勤めましたが、実は4年目に一度退職しているんです。私は入社して1年半でスタイリストになり、3年目でヘアショーのステージにメインメンバーとして立たせていただきました。ちょうど、22才の頃です。その当時のMINXといえば、ショーや雑誌において過激的で斬新なデザインを創作することがウリでした。でも、そのテイストに少し疑問を持ち始めていたんです。そして、業界誌の撮影の時に少しナチュラルなスタイルを作ったところ、社内で怒られましてね。テイストが違うと…。

理想を求め共同経営で独立するも志半ばで挫折

今思えば、ナチュラルが悪いのではなく、単純に作品のクオリティが低かったんでしょうね。先輩たちは、ナチュラルでもいいものを見極める目を持つ人たちだったし、私の準備が足りなかっただけのこと。ただその時は、それに気づかなくて自分の求めているテイストにこだわったんです。そこで決心して、自分でお店を持とうと思い独立しました。それが23才の時です。ただ、金銭的な問題があったので、友だちと共同経営という形で出店しました。それは、自分の求めているスタイルが提案できて、じっくりとサロンワークのできる環境としてですね。ところが、その友だちとすぐにケンカをしてしまったんです。さらに、周りの人が色々とアドバイスをしてくれたのですが、自分の中で雑音となってしまい、逆に仕事に集中できなくなったんですね。それで、私が出ていくことになり2ヶ月で辞めてしまいました。

一からスタートをするつもりで頑張れと再度MINXへ

それから、MINXの高橋マサトモさんに相談したんですが、『まだ2ヶ月で、スタッフの中には辞めたことに気づいてない人もいるから帰ってきたら?』って言われたんです(笑)。でも、私にもプライドがあるので、しばらくは友人が経営しているサロンにブース借りをして、自分のお客さまを担当していました。そこでは半年くらいお世話になり、その間にも高橋さんには相談をしたりしていました。その当時、自分の進むべき道に迷いが生じていたんです。そこで、高橋さんが『一からスタートをするつもりで頑張れば、MINXとしてはスタイリストとして採用するから戻ってこい』と言ってくれたんです。それが嬉しくて、最低10年は頑張って恩返ししようと思いました。高橋さんから学んだことは、人に対する思いやり。高橋さんは人に対する思いが人一倍強い方です。それはお客さまだけでなく、スタッフや家族やあらゆる人に対してです。MINXは、創造するスタイルやテイストは徐々に変化していましたが、そのポリシーだけはまったく変わらなかったですね。だから、辞めたOBに対しても、いつも気遣ってくれていますね。

千葉県出身。山野美容専門学校卒業。卒業後に数店舗を経て、1989年にMINXに入社、広尾店勤務。1995年に下北沢NEXT店に移動。2000年より下北沢店店長に就任。2002年に下北沢E店オープンに伴い2店舗の統括店長に就任。2005年に退社。2005年に有限会社STADS設立。新海義仁氏とともに取締役に就任。2005年にHair Salon BLESSを、渋谷区神宮前にオープン。サロンワークを中心に、美容専門誌や一般誌のヘアメイク、全国各都市での美容師向けのカット講習の講師、メーカーとの商品開発等、さまざまな分野で活動を続けている。

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