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西田 斉さん/Bond HAIR-MAKE UP −待庵−

当時の師匠のアドバイスを受け、地元で5年間修行。そして、再度ロンドンに渡りヴィダル・サスーン・アカデミーの門をたたく。そこで出会った心のライバル、植村隆博さんに大きな刺激を受ける。身振り手振りの英会話で授業を受けながら、ハングリー精神で駆け抜けた留学生時代。その後やむなく帰国したが、そこで念願の母の髪をカットした。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2008.6.5

恩師のエールを受けて再度ロンドン留学へ

私が5年間お世話になった先生は、パーマはもちろん、着付、セット、日本髪がすごく上手な方でした。ところが、『カットで有名になりたいのなら、ここにいてはダメ。海外で勉強しなさい。』と言うんです。そして、川島文夫さんのタカラテクニカルセミナーに参加して、カットの勉強をしなさいとすすめられました。さらに、基礎をしっかり身につけて100万円を貯めなさいと。私はお世話になった5年間で、その100万円を貯めました。 そして父の反対を押し切り再びロンドンへ渡り、ヴィダル サスーン・アカデミーのディプロマコースに入学しました。しかし、金額の不足分は実は父が立て替えてくれたんです。その頃は、お金がなかったので通訳を雇わずにひどい英語で会話していましたが、熱意だけで入学できました。サスーンのアカデミーは1ヶ月半で1ステージのカリキュラムがあり、テストを合格して次のステージへ進み、合計で5ステージを修得しなければいけませんでした。その1つ上のセカンドステージに、実はDADA CuBiCの植村隆博君がいたんです。

闘争心に火をつけてくれたライバルとの出会い

私は日本人がいたことに安心したんですが、彼は授業中に一番前を陣取って、カメラで写真を撮りながらメモを取り、いろんな質問もしていたんです。その真剣な姿にすごく驚き、彼に影響を受けました。私のクラスは裕福そうなフランス人やイタリア人がいて、のんびりムードだったんですが、私はハングリー精神で植村君のように授業を受けました。首席で卒業すると大きなチャンスがありましたから必死でしたね。だから、彼が私の心のライバルでした。彼と競い合うように、朝早く登校しては一番前の席を取り、帰りはモデルハントをして自分のアパートでカットの練習もしました。それくらい、燃えた1年でした。その経験があったからこそ、今の自分があると思います。その1年で、一生分の財産を手に入れた気分でしたから…。ただ、ロンドンでも母の髪をきれいにしてあげたい、そして父を見返したいという気持ちだけはずっと忘れずに頑張りました。

初めてカットした母が涙ながらに喜んでくれた

結結果的に私は首席で卒業し、『ベストスチューデント』という賞をいただきました。主席で卒業できる日本人は少なく、すごく気分が良かったのですが、私には経済力がなかったので1年後には帰国せざるを得ませんでした。そして、高槻市のサロンにお世話になりながら実力を試そうとしたんですが、なぜか結果が出ませんでした。その時、母の髪をボブにカットしてあげたんです。そうすると母は泣きながら、『こんなにシャンプーが楽で、手入れしやすいヘアは小学校以来よ』と喜んでくれました。そして、『私以外の大勢の人も、喜ばせてあげて』と言ってくれたんです。それを聞いた時、今まで地位や名声を追いかけていた自分が恥ずかしくなりましたね。そして、地元に恩返しをしようと、高槻市に独立オープンしたんです。それが27歳の時でした。

大阪府出身。大阪整容美容専門学校(現大阪中央理容美容専門学校)卒業。大阪府高槻市の地元の美容室に入店後、1989年に渡英。ロンドンのヴィダルサスーン・ディプロマコースに留学。卒業後も技術の追求、創作活動を続けながら、日本と英国を行き来し、1995年に帰国。同年、大阪府高槻市に『Bond HAIR-MAKE UP』をオープン。2001年に京都市中京区に移転。京都の町屋づくりをそのまま生かした店内は、癒しの空間を提供している。現在、サロンワークを中心にカットのテクニックブックの発行、業界誌での撮影や全国各地でセミナー等の活動を行う。特に日本人の骨格を考慮したカットテクニックは好評を博している。

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