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早坂精徳さん/Livre Hair-Make

全国大会に出場できるだけで満足だった。そのため、気負わずに臨んだ夢の舞台で3位の快挙。さらに上位を目指そうとするが、キャリア数年の新米理容師にとって、その壁はとてつもなく巨大だった。翌年は見事に散るも、それからコンテストに対するモチベーションを高める。そして最後のチャレンジと決めた岡山で、念願の全国制覇を勝ち取る。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2008.2.7

全国大会初出場3位の翌年は20位以下の惨敗

私の目標は、全国大会に出場することでした。全国大会で入賞するなんて、最初から無理だと考えていましたから。だから、地区大会を勝ち抜いたことで夢が叶い、全国大会ではある意味、リラックスできたのかもしれません。その結果が3位だったので、自分自身が一番驚いたし、優勝したように泣きましたね。必死で努力した成果と、まわりで支えていただいた先生方の指導や仲間のお陰だと感謝しています。第3部門は、ニューラインをベースにしてモデルとの似合わせやファッションを含めたトータルで審査されるので、それが評価されたことに嬉しさを感じました。そして翌年は、自分の中にも欲が出てきて、さらに上を目指して頑張りました。 地区大会を勝ち抜いて、2年連続で全国大会に出場したのですが、結果は見事に惨敗。欲が出たのと自信過剰気味になっていたのが敗因だと思いました。競技中も、自分ばかり見られているような錯覚に陥りましたからね(笑)。また、ここで成績を残さないと昨年の3位が無意味になってしまうと、自分で自分にプレッシャーを与えていたような気もします。

本気で優勝したいという意気込みで臨んだ大会

競技を終えてまわりの選手の作品を見た時に、今回はダメだと認識しました。自分でも、手応えはなかったですから。 全国大会で入賞することの難しさと厳しさを、その時に改めて思い知らされました。そして、「全国大会で優勝したい」と強く思うようになりました。ところが、スランプを感じて3回目は充電期間として休み、以降は6位、15位、5位と浮き沈みの激しい時期を過ごしました。そして、自分の中ではもう限界かなと思い、最後のチャンスと決めていた2005年の岡山大会で、優勝することができたんです。本当に嬉しくて、私をサポートしてくれたすべての方に感謝しました。この時は、本気で優勝したいという意気込みで臨んだ大会でした。それまでは、2位でもいいかなと、精神的に逃げ場を作っていたような気がします。

逃げ場を作らず気持ちで攻めた結果が念願の優勝

実は3位になった後、いろんな講習会で講師として呼ばれるようになっていたんです。私はまだキャリア2〜3年の新米理容師でしたから、人に教えた経験もなく作品を解説することすらできませんでした。頭の中が真っ白になるくらい、今でも何を言ったのか覚えていません。それくらい、人前に立って喋ることが得意じゃなかったんです。だから、もし優勝すると次は全国の講習会に呼ばれるんだろうなとか、それだったら2位でもいいと密かに逃げていたんですね。 そんな自分なのに、まわりの人は熱心に応援してくれる訳ですよ。すごく申し訳ない気持ちになって、その人たちの気持ちに応えるためにも、あとのことにはこだわらずに全力を出し切ろうと吹っ切れたのを覚えています。だから、競技終了後には、満足感を得ました。過去の大会では、ミスしたことを反省ばかりしていましたが、この時はやりきったと思いました。その結果が優勝でしたから、本当に満足しました。それと同時に、ようやく理容師としての自分の設定したスタートラインにつけたんだと思い、以降はサロンワークに専念し、後進の育成に努力しようと思ったんです。

宮城県出身。Livre Hair-make専務取締役。仙台中央理容美容専門学校卒業後、塩竃市の(有)エンドーグループに入社。その後、実家の理容室リブレに入社。リブレでは三代目としてサロンワークに従事する。2004年11月にリニューアルオープンし、メンズ&レディスの他にエステやヘッドスパを導入してトータルサロンとして展開。ランドマーク的存在を目指し、ゆとりのある落ち着いたカフェ風サロンを実現。また、6年間コンテストに出場し、初出場の1999年には理容全国大会で3位、2005年には理容全国大会で優勝。現在、サロンワークを中心に宮城県理容組合やHSA協会、ルベルコスメティックスの講師等を務める。

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