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水谷晃さん/PER-HAPS代表

親戚のひと言が決め手で歩んだ美容師としての人生。その後、ヴィダル・サスーンのアカデミーへ留学し、あの川島文夫さんと出会う。カットセミナーでのダメ出しで衝撃を受ける一方、さらに川島さんに心酔する。そして、修行後に実家のサロンに戻り、1号店のJAPを28歳の若さでオープンした。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2007.12.6

『振り向くな、振り向くな。過去には夢がない』という川島さんの言葉

私が子供の頃、母が桑名市で理容室を、そして親戚が名古屋で美容室を経営していました。でも、私は車が好きだったので、学生時代は自動車関係の仕事を希望していました。ところが、その親戚の勧めでこの美容業界に飛び込んだのです。最初は理容科に通いましたが、これからの時代は華やかな美容の方に将来性があると思い、その親戚のサロンで修行を積みながら、通信で美容科に通いました。修行期間にはロンドンに渡り、ヴィダル・サスーンのアカデミーへ留学にも行きました。多い時は1年で4回くらい行き、技術をしっかり学びました。それから、川島文夫さんと出会ったんです。今でも川島さんは、私の師匠です。いろんなお話をさせていただき、多くの言葉をいただきました。その中で印象に残っているのは、『無理をしない方がいい。走りすぎると大変だよ』という言葉でした。それと、『振り向くな、振り向くな。過去には夢がない』という言葉も心に残っています。常に前向きの姿勢で頑張れというエールをいただきましたね。

カットウィッグを逆さまにして『これは全然ダメ!』

初めて川島さんのカットセミナーを名古屋で受講した時も印象に残っています。私はカットコンテストに出場して、かなり入賞もしていたから自信があったんです。ところが、カットしたウィッグをチェックしてもらったところ、先生が逆さまにしたんです。そしてカットラインを見てひと言、『これは全然ダメ!』と。まさか、ひっくり返すとは思わないですから(笑)。でもそれを見た時、『これからの時代はこの人だな』と痛感しましたよ。それから、川島さんの講習ばかり全国各地で受講しましたね。最初はなかなかお話もできなかったんですが、今では『水ちゃん』と呼んでいただいてます(笑)。それほど、川島さんに惚れ込んだのは、やはりカットが全てだと思っていたからです。セットではなく、カットでフォルムを作り、またカットによる再現性が求められている時代性だったからです。それは、今でも変わらないと思いますね。パーマやカラーも、やはりカットがしっかりできていないとデザインとして成立しないと考えていますから。

実家の理容室を美容室へ、1号店JAP誕生。

川島さんからは、人生論などもたくさん学びました。そこで私が思ったのは、『高級より一流が大切である』ということです。高級はお金で買うことができますよね。ところが、一流は絶対にお金では買えないですから。さらに、一流になるにはそこにたどり着くまでのプロセスが必要です。そんな話を、今の若い人たちにも言っています。川島さんからそんな影響を受けつつ、親戚のサロンでは4年ほど修行をさせてもらい、その後は実家に戻って母のサロンで仕事をするようになりました。母は理容師として、私は美容師として、1軒のサロンで両方の展開をしていたんです。そうすると、美容組合からどちらかにしてほしいとクレームが来たんです。当時、結婚をしていた私は、嫁と共同で美容をしていたせいか、お客様が増え始めた頃でした。私は母に、『今まで頑張ってきたからもう引退して、後はまかせてほしい』と言って、実家の理容室を美容室に改装したんです。それが、1号店のJAPです。

三重県出身。三重高等理容美容専門学校(現ミエ・ヘアー・アーティストアカデミー)卒業後、名古屋市内のサロンを数店舗経て、母親のサロンである理容店を手伝う。その後、1980年に28歳で独立し美容室としてJAPを三重県桑名市にオープン。その後、1987年にPER-HAPSをオープンし、1999年にmod's hair 桑名店、2001年にmod's hair 名古屋栄店、2004年にPER-HAPS SUPER POSITION、2006年にPER-HAPS PARK AVENUE、2006年にmod's hair 桑名店を改装し、キャンディーグラマシーをオープンするなど、『上質で上品』をコンセプトに現在は5店舗を展開。現在、サロンワークのみならず、テレビや雑誌の取材、カットスクールや大学の講師を務めるなど、その活躍は多岐にわたる。

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