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齋藤仁孝さん/ヘアショップ仁孝代表

全日本チャンピオンになって思いもよらぬ事態が。それは、講習会における人前での会話。しかし、プロに対する話術のマスターが、サロンワークでもいかせることができた。そして、結婚を機に独立を考え始める。そかし、それまで果たさなければいけない使命が齋藤さんにあった。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2007.10.4

プロに対する会話ができると接客もスムーズになった

自分が全日本チャンピオンになって変わったことといえば、人前で話ができるようになったことですね。それは、チャンピオンになると講習会の依頼が増え、いろんな人の前で話をしなくてはいけないからです。最初は戸惑い、仕事をしながら会話することの難しさを感じました。でも、プロに対する伝え方ができると、今度は言葉を変えるだけでお客様に対する接し方もスムーズになったんです。今まで職人気質で寡黙に仕事をしていましたが、会話でお客様とのコミュニケーションが取りやすくなりました。これは、いい経験をさせてもらいましたね。それが、お客様に喜んでいただけるサロンワークができるようになったきっかけでもありましたね。そして、チャンピオンになって数ヶ月後に、自分のお店を持とうかな思い始めました。最初は、独立なんてまったく考えたこともなかったんですが、その頃に結婚したい人がいまして、少し考えが変わり始めました。

帰る場所がないから自分を磨いて技を極める

当時は、跡継ぎがほとんどでしたから、みんな技術を覚えたら5年後くらいには実家に戻って行きました。でも、それを見て羨ましいとは思いませんでしたね。それは、もっと自分を磨いて、『違う自分探しをしたい』という気持ちが強かったからです。自分には何もなかったので、一生懸命でしたよ。帰る場所はなく、また独立するにも資金がない。ギリギリまで出店する決断ができなかったです。だから、結婚がきっかけでした。当時、私は本店を任されていましたし、2年前に退社の告知をしないといけない決まりでしたから、それまで一生懸命に務めました。その頃で一番大変だったのは、やはりスタッフの教育でしたね。当時は見て学ぶという慣習がほとんどで、マニュアルなどない時代でしたから、人に教えることが難しかったです。

マニュアルが確立されていない時代のスタッフ教育

私も向原先生の仕事ぶりを見て学びましたから。例えば、すべてを教わると、そこまでしか力を発揮できない。しかし、10のうち1を聞いて、残りの9を自分の想像力で膨らませる。それをできる人が、大いに成長するという発想の時代でした。だから、自分で経験を積んで成功と失敗を重ねながら、技術を覚えるのが私たちのやり方でしたね。そうすることで、自分自身の中に理論が確立されるわけです。でも、若い人には手取り足取りで教えましたから、それが大変でした。そんな2年間で、独立に関してまず悩んだのは、場所でした。私が辞めるとお客様が動いてしまうと思い、サロンに迷惑がかからない距離感はどれくらいなのかと悩みました。また、お店に負担がかからないように、次期店長も育てました。それも私の仕事でしたから…。

山形県出身。中野養成理容美容学校(現・窪田理容美容専門学校)卒業後にEXCELに入社。向原一義氏のもとで修行を積む。EXCEL在籍中に、神奈川県理容競技大会2年連続チャンピオン、関東甲信越理容競技大会2年連続準チャンピオンを獲得。 1975年には第27回全国理容競技大会チャンピオンに輝く。1979年にEXCELを退社し、翌年にカットサロン仁孝を神奈川県海老名市にオープン。1988年に2号店を出店。2005年に2店舗を統合しヘアショップ仁孝としてリニューアルオープンする。

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