TBMG - この人から学ぶ成功の秘訣! by タカラベルモント

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新型コロナウイルス感染症が世界中に甚大な被害を出し心痛めております。     
日本においても国難を抱えていますが、この感染症に我々民族がどう向き合い、乗り切るのかを通じて、「思いやり」から生まれるJAPANカルチャーを世界の人々に感じていただき、貢献できれば更に素晴らしい国になれると思います。
共に頑張りましょう。

SNIPS 由藤秀樹

生涯プレイヤーであり続けたいと思っていた時、先生からの一言で地元 新潟へ戻る決意をした由藤さん。新潟の地で様々な試行錯誤を経てお店のブランド力を上げ、4店舗を展開するサロンへと成長。新潟から日本の美容を盛り上げ、新たなトレンドを発信し続けています。国内外に多くのファンを持つ由藤さんの揺るぎない信念と、デザインへの強いこだわり、理美容業界への熱い想いをお聞きしました。(3月19日取材)

ライター 森永 泰恵 | カメラ 山 美津留 | 配信日 2020.5.28

17歳の時に“理美容はファッション”だと感じ、決意

理美容師になろうと思ったきっかけを教えてください。

僕は子どもの頃からオリジナリティにあふれているタイプで、みんなと違うことをやりたい子どもだったので、学校ではあまり評価されず(笑)、将来はデスクワークをしたり大きな組織の一員として働くのは自分には合っていないと感じていました。実家の理容室には徒弟制度があり、両親が住み込みのスタッフに仕事を教え、社会人として育てている姿を近くで見ていたこともあり、小学校を卒業する頃にはこの仕事に就きたいと思っていました。当時は画一的なライフスタイルの時代だったのでファッション性は感じていなかったのですが、17歳の時に父に連れられてPEEK-A-BOOの川島先生のステージを見に行った時、ヘアがファッションやアートと融合してすごいムーブメントを起こしていると感じました。そこから“理美容はファッション”という意識が芽生え、理美容師になる決意を新たにしました。

人の3倍、4倍、圧倒的な練習を続けた毎日

どんな学生、新人でしたか?

高校卒業後は父の勧めでHONDA PREMIER HAIR INTERNATIONALに入りました。昼間は理美容学校に行き、帰ったらサロンの手伝いをする日々がスタート。寮生活で6畳部屋に男子4人。さすがの僕でもここでは自己主張はできず、規則正しい生活をしていました。規律や上下関係が厳しく、それまでとは全く違う生活でしたが、当時は携帯電話もなかったので他人と比べる情報がなく、みんなこうなのかな、やるべきことをやろう、こういう大変さを乗り越えていった人だけが成功するに違いない、そう思っていたので、これが普通のことだと捉えていました。学校では学科が苦手だったので学科の時間はあまりいい生徒ではありませんでしたが(笑)、技術の時間になると急にやる気を出すという感じでしたね。とにかくうまくなりたい、カッコいいヘアスタイルを生み出す人になりたい一心で、人の何倍も練習をし、コンテストで優勝したこともありました。学生時代の僕のあだ名は「先生」だったんですよ(笑)。就職してからもレッスンに次ぐレッスンで、深夜12時を回ることもしばしば。大会前になると睡眠時間が2〜3時間ということもありました。でも僕は、人の3倍、4倍、圧倒的な練習をしないと人より抜きん出ないと思っていたので、必死にコツコツ練習をする毎日を送っていました。寮に帰ってからもずっとコソ練(コソコソ一人で練習)していましたね。

師匠の“完コピ”を目指し、多くを学んだ

スタッフ時代に一番努力したことは?

僕は目の前にいる本田先生という素晴らしい方の話し方、表情、姿勢、カットの仕方…とにかく全部真似て完コピする事で考え方や在り方を吸収してました。直接アドバイスをいただいたこともたくさんあります。なぜか僕は他のスタッフよりもいい意味で“マーク”されていたようで、休みの日にも電話がかかってきて「今日は練習した?」と聞かれたり、1人暮らしをしようと思って相談したら「お前には必要ない、チャンピオンを目指すのに1人暮らしの生活は無駄だ」と。僕は頭にきて、それなら最後まで居座ってやろうと思い、意地になって独立するまで寮にいました(笑)。車を買いたいと言ったら「お前には必要ない」とまた言われて…。尊敬し大好きな本田先生から、自由度の高いことをやろうとするとダメだと言われるんですよね。26歳の頃には店長になり、コンテストで好成績を収めたことも多数、売上もNo.1になっていた時期でさえ、再度、車を買いたいと言ったら「いや、必要ない」と。「どうしても買うなら、みんなが憧れるくらいのいい車を買いなさい」と言われ、思いがけず高い車を買う羽目に…(笑)。本田先生は常に「カッコよく生きろ」と僕に教えてくれていたんです。ある時、「お前に50万円を渡す。どう使ってもいいけれど、サロンが良くなる使い方をしてほしい」と言われ、僕は驚き、悩みました。3年間悩み続け、結局使えなくてお返ししたのですが、本田先生はお金の大小に関わらずどう生きたお金にするかを考えなさい、ということを僕に伝えたかったんだと思います。とてもいい勉強をさせていただきました。

「新潟を盛り上げろ」師匠の言葉を胸に独立

独立のきっかけは何ですか?

僕はプレイヤーであることと教育をしていくこと、この2つを理美容人生のメインに考えていたので、サロンを経営するという意識はまったくなかったんです。子どもの頃から帳簿をつけている父や母の姿を見て、お金の計算は絶対にやりたくないと思い続けていたので、独立するつもりはありませんでした。しかし、10年が過ぎた頃に本田先生が「地元に帰れ」と。「そもそもお前は新潟を良くするためにうちで勉強してきたんだから、そろそろ戻って新潟を盛り上げろ」と。それで戻ることにしました。まずは実家のサロンに入り、父が経理を全部やってくれる中で最初はプレイヤーとしてスタート。その後父からお店を受け継ぎ、少しずつ自分の思い描く方向へと変えていき、次第に現在の形が整っていきました。

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由藤秀樹(ヨシフジヒデキ)

SNIPS代表。

神奈川県内のサロンを経て1998年、新潟市にSNIPSをオープン。国内・海外でのセミナー活動も多く、アジア各国の理美容業界の教育と発展に尽力、多くの美容師から支持を得ている。

SNIPS

コンセプトの異なる4店舗を展開。2013年には本店を「SNIPS LIFE DESIGN」へとリブランディング。デザイン力でその人の生活や環境、ひいては人生を豊かにすることをテーマとしている。


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