TBMG - この人から学ぶ成功の秘訣! by タカラベルモント

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正確で早い仕事は、忙しさの中で培われた

ZUSSOではどのような環境だったのですか?

ZUSSOも猛烈な人気店で、トップが横手さん(現PHASE代表)で、スタイリストではBRIDGEの西本さんや、ACQUAの綾小路さんなどもいました。土日では16〜17人は予約のあるスタイリストが何人かいて、10名くらいのスタイリストがいましたが、セット面が13面なので、その時点でもうおかしなことになっていますよね(笑)。席がないのでシャンプー台で手鏡を持ってもらってカットしたりとか、色々考えましたね。諦めませんでしたよ(笑)。シャンプー台の空き待ちは当たり前で、シャンプーをアシスタントに頼むと「えーっと、13番目です」だって(笑)。でも、自分でシャンプーに入れば割り込める感じだったので、カットの途中でお客様に「ちょっと待ってくださいね」と言ってシャンプーに入ったりと、毎日いろいろと忙しくて本当に大変でした。全体をよく見て素早く動かないと全部が遅れてしまいます。とにかく、お客様を怒らせないように、笑って帰ってもらうために、なんでもやりました。そうやってすぐに1日が終わっていきました。大阪時代のお客様は「あんた下手ね」とか「シャンプー、あの人に代わってよ」とか、はっきり言う人が多くて落ち込みましたが、また来てくれて「あなた上手になったじゃない〜」と言ってくれて、本当に育ててもらいました。でも東京は、「また来ますね〜」と言いながら次は来ないというシビアさがあります。ZUSSOではどんな状況でも一生懸命、手を抜かずやっていれば、お客様は一緒に応援してくれて、笑って帰ってくれました。お客様が、必要とされる美容師に育ててくれたいい時代だったと懐かしく思います。本当にありがとうございました。

「波」が来た!とはっきり感じて、独立を決意

独立の経緯を教えてください。

80年代の後半、僕は20代後半に差し掛かっていました。その頃はバブル全盛期で、原宿にお店を出すには保証金だけでも何千万円という時代でしたが、90年代に入りバブルがはじけ、原宿界隈はガラ空きになったことでお店が持てるようになったんです。当時すでにZUSSOを辞めて、共同経営でサロンをしていましたが、経営に関する考え方の違いもあり、僕1人だけで独立することを決意しました。といっても、所持金80万円だったんですけどね(笑)。バブルがはじけて物件がたくさん空いていたということもありますが、独立に向け方々をかけ回り、94年に原宿にHEARTSをオープンしました。僕には“チャンス”が大きな「波」のように来るのが見えていました。不安よりもやる気の方が上回っていたのを思い出します。この「波」って何か分かります?これは、ヘア雑誌ブームなんです。今ほどではありませんでしたが雑誌の種類が増え始めた頃で、雑誌を手に取る消費者が多くなった時だったんです。そんな中、創刊したてのZipperやヘアカタログなどの美容雑誌、業界に特化した専門誌などさまざまな雑誌に出させてもらう事が続きました。雑誌に参加した事で、企画から加わることが増えたんです。その時、サロン特集を任されるチャンスを頂きました。当時は、特集モデルがサロンのスタッフという場合もあり、クオリティが決して高いとは言えませんでした。そこで、事前にモデルのポラチェックをすることを提案したら、途端に雑誌が売れるようになったんです。今ではポラチェックって当たり前かもしれませんが、当時は革新的だったんですよ。他にも、ZUSSO時代に、その頃の超有名ファッション誌に当時の金額で1ページ数十万円のタイアップ広告を出したのですが、外人モデルと一流メイキャップアーティストを起用してスタイルを作り上げたのに、それを見て来店されたお客様は1カ月に数人でした。でも、別の女性誌でリアルなサロンのヘアカタログや、ビフォーアフターの特集をしたら、1カ月で50人以上も来店されたんです。消費者の求めているものが見えて、その時、「これだ!」と感じましたね。ちゃんとやったら大変なことになる…と。

集客では何の苦労もなく、恐怖感も感じていなかった

サロンが軌道に乗った勝因は何だと思いますか?

雑誌ブームといっても、最初は出版社に売り込みに行っても断れられてばかりでした。当時の美容師はあまり信頼されておらず、どちらかというと馬鹿にされていると思っていました。同じ“ヘア”を扱う仕事でも、ヘアメイクの人より美容師の方が仕事のクオリティが低いと思われていることが悔しかったですね。なので、ビューティーライターさんと一緒に売り込みに行く日々でした。ちょこちょこ雑誌に出させていただきながら売込みをしていたそんな折、ある編集部の方が話を聞いてくださり、試しに雑誌の後方ページで特集してもらったんです。結果的に、その号がすごく売れたこともあり、それ以来、何度も巻頭特集を組んでいただきました。この時代の成功は、ポラチェックにより一定のクオリティを保って掲載できたことがよかったのだと思います。雑誌ブームという「波」に乗って一気に経営も軌道に乗り、スタッフも増えていきました。集客では何の苦労もありませんでした。ブーム時は、多くの雑誌でサロン特集をしていたので、オープン1年半で雑誌の切り抜きを持って来店されるお客様が1日何十人もいて、本当に忙しい時は電話にも出られないという状況になりました。バブル崩壊後で家賃も安かったので、恐怖感は一切ありませんでしたが、今考えれば調子に乗っていましたね。MOONとSNOWというお店を出店、2001年にはその2店舗を統合してDoubleをオープンしました。

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HEARTS/Double代表取締役。鹿児島県出身。高津理容美容専門学校卒業。94年にHEARTS、2001年にDoubleをオープンし、卓越したデザイン性と確かな技術、似合わせのスペシャリストとして幅広い年代から厚い支持を集める。また、国内外でのセミナーやコンテストの審査員を数多く務め、美容師からも圧倒的な人気を誇る。

◇サロン紹介
原宿、表参道に展開する美容室。長年培って来た確かな技術ときめ細やかな感性で、常に新しいヘアスタイルを求めるお客様に、流行の一歩先を行く髪型を提案しているサロン。


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