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三木敏行さん/Stella

母親の影響を受けて、子供の頃から同じ美容師になろうと思った。そして、定時制の高校に進学し、同時に美容学校にも入学。インターン時代は現実の壁にぶつかりながらも努力を積み重ねた。数店舗を渡り歩いた後、スタイリストとしてデビュー。つらい仕事を任されても、それが自分に返ってくることを実感し徐々にやりがいを感じていった。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2012.4.5

先生に叱られながらも頑張った美容学校時代

私が美容師になったきっかけは、すでに美容師として仕事をしていた母の影響です。私は小さい頃から母親が勤めていたサロンに遊びに行っていたので、母の仕事ぶりはその当時から記憶しています。その後、美容師になろうと決意し、高校は定時制で学び、同時に美容学校にも入学しました。美容学校で最初に感じたのは、衛生科学や皮膚科学など学科の授業が大変難しいということでした。技術は得意だったのですが、当時からやんちゃな性格だったので先生によく叱られました。今でも先生に会うたびに、「お前をいつ辞めさそうかと思っていた」と言われますから(笑)。当時はインターン制度があり、1年後には京都市内の繁華街のサロンに入店しました。私は17歳で免許を取得したので、若い頃は20歳までには東京に行き一旗揚げたいという夢を持っていました。でも、勇気がなくて東京に行くことは叶いませんでしたね。

早く一人前の美容師になって稼ぎたいと思った

サロンに入店した初めの頃は、とても厳しくレッスンをしていただきましたが、思うように技術をマスターすることができませんでした。それまでは自分のことを器用だと思っていましたが、実際は思うように指が動かず、ワインディングを早く、きれいにできるようになるまでには時間がかかりました。また、周りのスタッフたちと比較されて自信を失いかけたこともたくさんありました。今思えばシャンプーやブローなど地道に努力したことが後に役立っていると感じています。当時の思い出として記憶に残っているのが、インターン時代の大晦日です。お正月にむけてセットのお客さまが多くて、夜中になっても営業していたことを覚えています。私は友人と約束をしていたので、時計ばかりを気にしていましたね(笑)。仕事に関して母からは特に干渉されることもなく、「自分の人生なので頑張って努力しなさい」と自由にさせてくれました。自分としては早く一人前の美容師になって稼ぎたいという思いが強かったですね。

つらい仕事でも頑張れば自分のためになると実感

そのサロンは約2年くらい勤めて退職しました。その後、独立した店長さんのお店を手伝うなど数店舗を渡り歩きましたが長続きせず、最初に勤めたサロンのオーナーが心配して別のサロンを紹介してくれました。今思えば、若い頃から周りの方々に支えられていたんですよね。私がスタイリストとしてデビューできたのはその後に勤めたサロンが最初でした。でも、まだまだ自分の技術に自信がなく、毎日遅くまでレッスンに励みました。当時はパーマが全盛の時代で、細かいワインディングなどを練習していましたね。練習を重ねるごとに自信とやりがいを感じるようになりました。その頃はスタイリストもシャンプーやブローをする時代です。先輩たちはシャンプーを敬遠していましたので、必然的に私ばかりがシャンプーを任されることが多くなり不満を感じていました。しかし、「それも仕事」と黙々とシャンプーをこなしていくうちに、それが指名客につながっていったんです。その時、つらい仕事でも頑張れば自分のためになるんだと実感しました。

Stella代表。京都府出身。京都理容美容専修学校卒業。京都市内で数店舗を経て、Stella※に入店。サロンワークを中心に多店舗経営に従事している。また、NPO法人美容週間振興協議会の全国美容週間実行委員会において、2012年度実行委員長として全国の美容業の振興にも関与しさまざまな活動を行っている。 (※Stella:2001年に東向日店をオープン。その後、2003年久我店、2005年嵯峨店をオープン。2007年には久我店を移転拡張し、2008年西院店をオープン。)

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