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櫻本博之さん/bise

スポーツ一筋、体育教師の道に進む予定が、急遽変更。そして、思わず口に出た言葉が、『美容師になる』だった。一流を目指すため名張から大阪のサロンに就職し、都会的で華やかなムードに触発されて本気で美容に取り組む。さらにヘアメイクの仕事に憧れて東京へと向かった。

ライター 前田正明 | カメラ 好川桃子 | 配信日 2011.6.9

約束された教師の道を急遽転換し、美容師になる

私は学生時代に教師を目指していました。スポーツの半特待生として私学に通っていたので、高校3年生の時には大学に進学して教員免許を取得し、母校で体育の先生になってサッカー部の顧問をするという将来の道筋がすでに決定していたんです。ところが、決まった瞬間に満足感を得たのか、なぜか急に違う道に進みたくなりました。家庭の事情により、大学進学で親に負担をかけたくないというのも理由の1つでした。そこで、母と将来のことを話していて、思わず『おれ、美容師になるわ』と言ったんです。その日は初めて美容室でカットをしてもらった帰りで、インパクトが強かったためそう言ったんだと思います(笑)。両親は混乱していたし、私自身も引っ込みがつかなくなったので美容師になろうと決めました。高校卒業後はまず地元のサロンに就職して、美容学校には通信で通いました。そのサロンの先生から『一流の美容師になるなら名張ではなく大阪に出なさい』とアドバイスされ、半年後に大阪のサロンに入社しました。

ハングリー精神で努力し2年でスタイリストに

大阪では心斎橋のサロンに入社し、27歳まで9年間勤務してディレクターまで勤めました。初めの頃は家賃が1万2000円の汚いアパートでの生活。早くこの環境から脱したいという気持ちもあり、頑張って2年でスタイリストになりました。新人の頃は、朝6時から出勤してレッスンをし、終電ギリギリまでトレーニングをしてさらにウイッグを持って帰ってアパートでも練習をしました。当然、公休日もサロンでレッスンを続けました。最初の2年間は遊ぶこともなくそんな日々を続け人一倍努力した自信があります。今でもそうですが、私はやると決めたらとことん追求するタイプなんです。途中で放棄することが大嫌いで、やり遂げる前にやめるのは間違いだと思っています。また、負けず嫌いなので、先輩や他のスタッフに負けたくない一心で頑張りました。そこまで頑張れたのは、やればやるほど美容という仕事に楽しさを感じたからです。17人いたスタッフの16人が男性だったので、体育会系のムードで頑張れたんだと思います。

ヘアメイクの仕事に憧れて上京を決意する

最初は何気なく口に出た『美容師になる』という言葉でしたが、大阪という都会に出て華やかさに感動し、そこで本気モードになりました。当時のサロンはモダンな店舗で、流行のDCブランドの洋服を着た男性美容師の姿がカッコよく映ったんです。また、お客さまからの感謝の言葉や、ディレクターになってスタッフたちと一体感を覚えながら仕事をできたことに、この職業を選んで正解だったなと感じました。さらに、私には別の夢があったんです。それは、サロンワーク以外にヘアメイクとして撮影の仕事をしたいという希望です。当時の大阪では、まだCMやドラマの撮影に携われる機会が少なく、そこで、東京に出ようと考えました。退職にあたってサロンに迷惑をかけないように何度も社長と話をして、結果的に心良く送り出していただきました。東京に行き、美容・エステティック・フィットネスクラブそして託児所まで経営している会社に飛び込みで入社しました。そこで憧れの、ヘアメイクの仕事をさせていただくことができたんです。

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有限会社bise代表取締役。三重県出身。高津理容美容専門学校(通信課程)卒業。地元の名張市のサロンに就職後、大阪・心斎橋のサロンに入社。27歳で上京してサロンワークと同時にスタジオにてヘアメイクアーティストとしても活躍。 33歳で名張市に戻り2001年にMiyabiをオープン。2002年に移転拡張しbiseをオープン。2007年には自社物件にて移転オープンし120坪のフロアに拡張。さらに、2010年に160坪(敷地面積約700坪)に増床してグランドオープン。美容・エステティック・ネイル・メイクを併設した本物志向のトータルサロンとして展開。現在はサロンワークを中心に技術講習会や経営セミナーの講師としても活躍中。


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