松永英樹さん/Abbey | ||
若干28歳にしてアートディレクターに就任。業績も社内でトップを維持した。しかし、13年間にPEEK-A-BOOで学んだことを生かし、さらに自分自身の可能性にチャレンジすべく独立を決意する。原宿にオープンしたサロンは有名デザイナーのNIGO氏とのコラボレーションとして展開した。
ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2011.4.7
売上げや集客力がアップしてアートディレクターに就任
私は28歳の時にPEEK-A-BOOのアートディレクターに就任しました。これは、技術力や売上げ・集客力などさまざまな要素で条件をクリアし、いただける役職です。私が就任した時は6名いました。今振り返れば、顧客満足を第一に考え、徹底して行ったことが集客につながったのではないかと思います。とにかく、お客さまには笑顔で帰っていただきたいと思い、毎日その繰り返しで仕事をしていました。それと、川島先生は昔から、『ナンバーワンよりオンリーワンになりなさい』とよく言われていました。それは、他の美容師にはないオリジナルな自分になるということです。その言葉が今でも心に響いていて、お客さまにとって自分が最高の美容師であるように努めています。また、メディアに取り上げられて自分の作品を紹介していただく機会が多かったのもラッキーでした。当時は美容師ブームで、雑誌に掲載されたサロンは注目を集めた時代でしたからね。
独立後にNIGO氏とのコラボで原宿にサロンをオープン
それ以降は、サロンワークやそれ以外の仕事などで、徐々に自分の実力を試してみたくなりました。独立を意識し始めたのはその頃で、会社と相談して後輩を育成した後に退職しました。独立して出店する際に、一番苦労したのは物件探しでした。最初のお店は原宿にオープンしたBAPE CUTSです。そのサロンは、A BATHING APEのプロデューサーであるNIGOさんとのコラボレーションで展開しました。彼とは、自分の好きなファッションを通じて知り合った友人です。お店は、ストリートファッションのテイストを感じさせながら、その時代性に合わせた店舗展開をしました。NIGOさんからは、美容師とは違う柔軟な発想に刺激を受けました。また、彼は若くして成功を収めていたので経営者的な視点で多くのことを学びました。来店客は、今までごひいきにしていただいていた方が8割。残りの2割はファッションブランドをイメージして来られた若い方たちでした。
表参道に移転して新しいサロンブランドを立ち上げる
独立した当初は、経営面での難しさを痛感しました。それは、サロンワークと売上げと組織作りの3つのトライアングルが、バランスよくまとまらなかったからです。やはり、最初の1年は支出のことで不安になります。それを払拭するために、集客面で積極的に雑誌の仕事をさせていただいたり、お客さまに満足を与えて次回も来店していただくように努力しました。さらに、その方からのご紹介を増やすように頑張りました。多分、他のサロンでも同じようなことやっているとは思いますが、それをコツコツと継続しました。その後、立地的にもいい環境に変わりたいと考えてタイミングを計って5年後に表参道に移転。それが、現在のAbbeyです。移転に際して新しいサロンブランドを立ち上げたいと思い、NIGOさんと相談してオリジナルの展開にしました。サロンのコンセプトは、リラクゼーションと優雅な気分を味わえる空間です。デザインは、ナイキ原宿店などのプロデュースを手掛ける有名インテリアデザイナーの片山正道さんにお願いしました。さらに、この空間にピッタリくる椅子が見つからず、片山さんと一緒にセット椅子を作ろうという話になったんです。そこで、どうせ作るなら、良いものを作って多くの方に使ってもらいたいと思い、タカラさんに協力していただき「LIM」というシリーズを作らせていただきました。もちろんデザインはプロの片山さんにお任せしましたが、使う側のプロとして、使用感や使い勝手、堅牢性など色々と意見を取り入れていただきました。
有限会社アビー代表取締役。長崎県出身。東京マックス美容専門学校(2年制)卒業。1989年にPEEK-A-BOOに入社。当時、最年少の28歳でアートディレクターに就任。その後、同サロン原宿店店長に就任。2002年に円満退社し、ファッションブランドA BATHING APEプロデューサーNIGO氏とのコラボレーションで原宿にBAPE CUTSをオープン。2007年に新たなブランドサロンとしてAbbeyを表参道に立ち上げる。2010年には南青山にAbbey2をオープン。現在、サロンワークを中心にファッション誌・広告など様々なヘアメイクを手掛ける。また、美容商品の開発、講習活動など多方面で活躍中。
backnumber
-
柏木ゆたかrivageヴィダル・サスーンのカットに興味を持ち、カットスクールにも通い、サロンも移った。さらにニューヨークのサロンで視野を広げる。
-
木村則子FRAME Hair「下手なカットは持ちが悪い」と言われ、お客さまにとって喜ばれる再現性の高いスタイル提案を学んだ。
-
中澤好夫vicca熱心に指導をしてくれたチーフのため、早く先輩たちを追い抜いて1番になる。新人の頃は毎日深夜まで練習をした。
-
安藤明BRILLER中途半端が嫌いですべてに納得したい。男性客だけの理容に物足りなさを感じ、美容師の資格も取得しようと考えた。
-
田中嘉之creep hair新人時代はカリスマ美容師ブームの頃。でも東京や有名美容師に憧れることなく、地元の人に喜ばれる美容師を目指した。