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松永英樹さん/Abbey

美容師になる限りはトップを目指そうと、長崎から東京の美容学校に入学する。さらに、一流の技術を修得するために、数ある有名サロンの中からPEEK-A-BOOを受験して入社。日本を代表する美容師、川島文夫さんの元でさまざまな影響を受けながら13年間勤務する。その間、店長として若いスタッフの指導にもあたった。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2011.4.7

やる限りはトップを目指そうと東京の美容学校に入学

私はクリエイティブな仕事に関心があり、高校時代はファッションの世界に進みたいと思っていました。でも、当時の長崎ではデザイナーやスタイリストなどの仕事がなく、そこで興味を抱いたのが美容師でした。美容師ならその延長でヘアメイクの仕事や東京で活躍できるチャンスがあると考えたんです。実は、私が通っていたのは進学校で、大学に進学せず専門学校に入学したのはわずか3人だけでした。なぜ進学しないのか不思議がられましたが、私はただ勉強をしていい点数を取り、漠然と大学に入ることに疑問を感じていました。それなら、明確な目標を持って美容師になる方がいいと判断したんです。そこで、やる限りはトップを目指そうと思い、東京の美容学校に入学しました。上京した当初は毎日が楽しかったです。田舎と違って、どんなヘアやファッションをしても、誰も何も言わないですから(笑)。専門学校生時代に感じたのは、入学する前は、授業は実技がメインだとばかり思っていたので、学科の多さにビックリしました。もう勉強をすることはないだろうと思っていたのに、一生懸命に勉強をした記憶があります。

新人時代はPEEK-A-BOOで活躍するのが夢だった

卒業後は有名なサロンに入り、一流の技術を学びたいと思い、数ある有名サロンの中からPEEK-A-BOOを受験して入社しました。入社した頃からPEEK-A-BOOは、自分が想像していた従来の美容室の形態ではなく、一般企業のようにきちんと規律やシステムが確立されている組織だと感じました。入社してからは「このサロンで活躍したい」というのが夢でした。もちろん川島文夫先生はとても憧れていました。でも私にとっては雲の上の存在でしたね。私は他のサロンが分からないので比較できないですが、PEEK-A-BOOもレッスンが厳しくて休日を返上したり夜遅くまでトレーニングしていました。私は入社して4年半でデビュー。最初のお客さまはカットモデルをしてくれた方がお祝いに来店されたので、あまり緊張せずに接客できたことを覚えています。

店長としてスタッフのモチベーションアップを心がけた

スタイリストになってからは、自分の技術で多くの方を幸せにしたいという気持ちで仕事をしました。売上も大切ですが、お客さまの満足の為に自分のスキルと実力をアップしたいと考え、営業していました。私はPEEK-A-BOOに13年間在籍して、その間に店長まで任されました。店長になって苦心したのは若いスタッフの指導です。みんなそれぞれ夢が違うし、中には一番を取らなくてもある程度のレベルで満足する人もいます。そんな彼らのモチベーションを上げるのに苦労したことがあります。ただ、有難いことに技術面でのマニュアルは社内で完璧にできていたので苦労することはなかったですね。川島先生と接して影響を受けたことは、妥協しないデザイン作りや高い志を持つことでした。例えば、カットをする時のフォームやデザインの発想などすべてにおいて影響を受けました。

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有限会社アビー代表取締役。長崎県出身。東京マックス美容専門学校(2年制)卒業。1989年にPEEK-A-BOOに入社。当時、最年少の28歳でアートディレクターに就任。その後、同サロン原宿店店長に就任。2002年に円満退社し、ファッションブランドA BATHING APEプロデューサーNIGO氏とのコラボレーションで原宿にBAPE CUTSをオープン。2007年に新たなブランドサロンとしてAbbeyを表参道に立ち上げる。2010年には南青山にAbbey2をオープン。現在、サロンワークを中心にファッション誌・広告など様々なヘアメイクを手掛ける。また、美容商品の開発、講習活動など多方面で活躍中。


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