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西海洋史さん/DADA CuBiC

実家は、母が経営する美容室。学生時代からアルバイトをするなど、家庭環境から美容業界に馴染むことは難しくなかった。しかし、美容学校卒業後の2年間は無職。そんな美容師に対する強い憧れもないままに過ごした2年間だったが、自分とは違う世界観をもつ友人に大きく感化される。そして母校の教員を勤めた後、日本のサロンでの実践経験もないままにロンドンへ飛んだ…。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2007.2.1

『美容師免許を取ったら、後はどんな職業に就いてもいい』

美容師になろうと思ったきっかけは、母が美容室を経営していたからです。当時は、美容学校に行っても、私のように2代目が半分くらいいましたね。ただし、真剣に美容を目指していたかといえば、その頃はそうじゃなかったんですよ。最初は、美容師の免許だけは取得してほしいという親の希望で通っていましたから。しかも、免許を取ったら、後は何をしてもいいよって感じで(笑)。実際に、友だちの中には美容師にならず、普通に就職する人もいたくらいです。でも、負けず嫌いの性格だったので、一生懸命に授業を受けてワインディングも練習して、気がついたら美容師になっていたという感じですね。高校時代には、アルバイトとしてお店でシャンプーをしていましたから、そういう家庭環境のためか違和感なくスムーズに美容業にとけ込むことができました。

美容学校卒業後に遊んだ2年間…友だちから大きな影響を受けた

実際に、若い頃は家業を継ぐとか一流の美容師を目指そうという目的意識はなかったですね。というか、何になりたいかさえ分からなかった。本当の意味で、仕事をするということを理解していませんでした。実は子供の頃は病弱で、20歳くらいまでの寿命だといわれていたそうです。だから、親もあまり無理強いはせず、そのためか美容学校を卒業して2年間は無職で遊んでいました(笑)。でも実は、その2年間に大きな影響を受けたんです。当時、一緒に遊んでいたのは大学生ばかりで、中には帰国子女もいました。みんな、20歳で外車に乗ってましたから。そんな彼らの考え方や発想が、それまでの友だちとまったく違ったんです。また、遊びを通じていろんな経験もしたし、そこで自分の考え方が大きく変わりましたね。頭のいい連中と遊んでいると、自分がバカだなと痛感させられましたから。それが、今では大きな経験となっていかされていると思います。

初就職は母校の教員、その後ロンドンでサロンに勤める

そして、2年間遊んだ後に、実は卒業した美容学校の教員を約3年間していたんです。大学生の友だちは一流企業に就職して、自分も就職について考えていた時に、なぜか学校の先生になりました。それまで、自分が教わる側だったのに逆の立場になって、しかも私の言うことを聞いてくれることに少し恐さを感じましたね。また、先生というよりは頼れる兄貴分的な目で見てくれたので、嬉しい反面、いろんなプレッシャーも感じて3年で辞めることにしました。それから、イギリスに渡ってロンドンのサロンに勤めました。つまり、完全な形でサロンワークを始めたのが、実はロンドンが最初だったんですよ。初めて自分のお客様を担当したのがロンドン。だから、私はアシスタントの経験がないんです。それまで、実家でシャンプーをしていたり、学校の教員としてカットもしていたので、実践的な経験はなくても知識が豊富だったためか自信はありました。渡英してからは、まずヴィダルサスーンのアカデミーに入学して、それからサロンに勤めました。サロンワークの経験もないのに、『オレ、なんでもできる!』って言って採用してもらいました(笑)。

1991年渡英。ロンドンのサロンで経験を積み、同時に『DADA』としても始動。カラーリストへ転向。帰国後、1997年3月原宿に『DADA』をオープン。2000年表参道に『DADA CuBiC』をオープン。2004年に『DADA DESIGN ACADEMY』を開校。2006年4月に『D-CuBiC』『DADA CuBiC』を統合拡張移転。カラー剤開発にも携わる。

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