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森久美子さん/Apres Midi

子供の頃から夢だった看護師を目指すも、理想と現実のギャップを目の当たりにして苦悩する。家族に相談した結果、母がかつて断念した美容師の道を選択。美容学校時代は楽しさと厳しさを味わいながら技術を習得。そして条件を満たした環境でのサロンに就職が決まり、美容師としての第一歩を歩み出した。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.7.2

看護師をあきらめて母の夢だった美容師の道へ

私は子供の頃、看護師になるのが夢でした。でも、高校進学で看護科の受験に失敗して私大の付属高校に入学。それでも夢をあきらめることができず、准看護師の資格を取るために高校を中退して病院にアルバイトに勤めました。ところが、しばらく仕事をしているうちに、看護師は自分に合わないと思ったんです(笑)。当時の看護師さんたちは、ヘアやツメの手入れがされておらずメイクもスッピンの状態。患者さんを元気づけるはずの看護師が暗いイメージに思えたんです。また、看護師のいやな面も見てしまい、私が思い描いていた『白衣の天使』という理想像が大きく崩れました。その頃、入院していた祖母に話をすると、つらい仕事だからという理由で看護師になることを猛反対されました。そこで母に相談したら、「手に職をつけるのなら看護師も美容師も同じよ」と言われました。実は母は若い頃、美容師になるのが夢でそれを断念したそうです。それなら私が叶えましょうということで、美容師を志したのがきっかけです。

美容の楽しさと現場の厳しさを覚えた学生時代

私が入学したのは組合立の美容学校で、新しく開校された分校でした。当時は1クラスのみで100名くらいの生徒がいました。主に中卒・高卒・短大卒・50代という年代層で、中退者だった私には同年のクラスメートはいませんでしたね。あの頃は毎日が楽しくて、特にフィンガーウェーブやセッティングが得意でした。苦手な授業もなかったし、つらいことや、いやな思い出はないですね。毎日の授業で美容の楽しみを覚え、1年間は勉強しながら友だちと一緒にディスコ通いに励んでいました(笑)。それと、授業料の一部を免除してもらうために組合に加盟している美容室へアルバイトに勤めながら、サロンで現場の雰囲気を勉強させてもらいました。独立した今を思えば、私にとって早く美容の世界に入れたこと、そして早く技術をマスターすることができたので大変ラッキーでした。でも、勤めていたサロンはすごく厳しくて、一生懸命に仕事をしていたことを覚えています。

独立する店長を慕いオープニングスタッフとして同行

当時はインターン制度があり、1年で学校を卒業したあとサロンに勤めました。私はまだ若かったので、遊びたいという思いが強く、全寮制で尚且つディスコに近いサロンを探していました(笑)。その条件に合わず、学校が紹介してくれたサロンを断ったところ、先生に理由を聞かれて正直に言いました。「私は仕事を一生懸命にしながら、発散できる環境もほしいんです。それが、ディスコに行くこと。だから、名古屋の繁華街である栄付近のサロンに勤めたい」と。すると、先生は理解してくれて探してくれることになりました。それからタイミングよく名古屋市内で求人募集をしているサロンが見つかり就職が決まりました。そのサロンでインターンを含めて3年目に入った頃です。当時店長をしていた方が独立をして、ご出身の岐阜で出店することになり、スタッフとして同行してくれる人を探していました。私はその人の見事なカットテクニックや接客振りに強く憧れていたんです。そこで、「今この人について行かなきゃ成長できないかもしれない」と思い、立候補し岐阜についていきました。

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アプレミディ代表。愛知県出身。中部美容専門学校尾張校(現一宮校)卒業。名古屋市内と岐阜市内のサロンを経て東京に進出。都内1店舗を経てKOZO美容室に入社。その後独立し、1995年に美容室アプレミディを東京目白にオープン。'97年には有限会社ルボアを設立。 '98年にアプレミディビスを東京東長崎にオープン。2000年には初の海外ヘアショーに出演。'02年にアプレミディを拡張。'03年にパリでのヘアショーに出演。'05年7月にアプレミディ(目白)を全面リニューアルオープン。'05年にパリでのヘアショーに出演。現在、サロンワークを中心に多分野で幅広く活動中。


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